フェデリーコ2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フェデリーコ2世(Federico II, 1272年 - 1337年)はシチリア王。在位は1296年 - 1337年。アラゴン家のピエトロ1世と、シチリア王マンフレーディの娘コスタンツァの間に三男として生まれた。ピエトロは1285年に死去し、アラゴンを長男のアルフォンソ3世に、シチリアを次男のジャコモに残す。アルフォンソは1291年に死去し、ジャコモがアラゴン王ハイメ(ジャコモ)2世になり、フェデリーコがシチリアの摂政となった。
シチリアの所有権を巡るアンジュー家とアラゴン家の争いが続いており、アラゴン家はイタリアでは成功していたものの、内紛とフランスの攻撃によってスペインにおけるジャコモの地位は危うくなっていた。ナポリ王カルロ1世による和平交渉が行なわれていたが、続けざまに起きた二人の教皇の死によって中断していた。更にナポリ王国の画策で教皇からアラゴン本国に対しシチリア攻撃の命令が下され、アラゴンからフェデリーコのために派遣されていた高官や軍隊がそのままフェデリーコ討伐軍として攻撃を始めるという絶体絶命の危機に曝されるが、フェデリーコの奮闘によって辛うじて退ける事に成功する。その後、1321年に息子のピエトロ2世を共同統治者に任じた後、国家整備を推し進めて周辺諸国からの干渉を防ぐ事に成功する。
[編集] フェデリーコ1世
フェデリーコ2世の曽祖父となる神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世も、シチリア王としてはフェデリーコ1世となるが、イタリア語表記での神聖ローマ皇帝の呼称「フェデリーコ(=フリードリヒ)2世」がそのまま誤用されて、シチリア王フェデリーコ2世と呼ばれることが多い。そのため本来のシチリア王フェデリーコ2世の事をフェデリーコ3世と誤記されることがある。
[編集] 関連項目
先代: ジャコモ |
シチリア王 | 次代: ピエトロ2世 |
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 人物関連のスタブ項目 | イタリア史の人物 | シチリアの君主 | 1272年生 | 1337年没