フォレスト・シャーマン
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フォレスト・パーシヴァル・シャーマン(Forrest Percival Sherman, 1896年10月30日-1951年7月22日)はアメリカ海軍の軍人、大将。アメリカ海軍史上、最年少の海軍作戦部長。
ニューハンプシャー州メリマックに生まれ、1914年海軍兵学校に入校。艦隊勤務の後、1922年に海軍パイロットとなり航空畑に転じた。海軍大学校で学び、空母レキシントン、サラトガ、レンジャー乗り組みや海軍大学校、軍需局、海軍作戦部勤務を経て、太平洋戦争開戦後の1942年3月に空母ワスプ艦長となったが、同年9月、日本海軍の潜水艦伊-19に撃沈された。ワスプ撃沈後は、1943年11月に太平洋艦隊航空隊参謀長を務め、レイテ沖海戦では第38任務部隊(機動部隊)の第3群を指揮した。太平洋艦隊参謀副長に就任し、戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式にも立ち会った。戦後は1945年12月に海軍作戦部航空作戦次長、次いで地中海方面の司令官。
1949年、空軍の巨大戦略爆撃機B-36の配備か、海軍の大型空母ユナイテッド・ステーツの建造かをめぐって海軍の将官たちが民主党トルーマン政権のジョンソン国防長官と対立した「提督たちの反乱」で、同年11月に海軍作戦部長ルイス・デンフェルド大将が更迭され、シャーマンはその後任として海軍作戦部長に就任し、海軍部内の建て直しに当たった。そして翌1950年6月に北朝鮮の軍事侵攻により朝鮮戦争が勃発。ヨーロッパでの冷戦と極東での熱戦に対処する最中、1951年7月、出張先のイタリア・ナポリで心臓発作のため急逝した。
フォレスト・シャーマン級駆逐艦の1番艦(1982年退役)と、アーレイバーク級駆逐艦の48番艦が彼にちなんで命名された。
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