フランス第一共和政
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フランスにおける第一共和政(だいいちきょうわせい, First Republic)は、同国史上初の共和政政権である(1792年-1804年)。
フランス革命の際、国民公会におけるブルボン朝の廃止および共和政樹立の宣言をもって開始したが、反革命の対仏大同盟諸国とのフランス革命戦争や恐怖政治などの混乱によって政権は安定しなかった。
1794年のテルミドールのクーデターの結果、クーデターを決行したタリアンらのテルミドール派が政権を握ったが、1年余りで求心力を失い、平原派のバラスを中心としたブルジョワ中心の政権が成立した。この政権は革命戦争期においても安定した政権を維持し続けていたが、次第に革命の理念から遠ざかり、フランス国民からの支持を失っていった。
1799年、ナポレオンがブリュメールのクーデターを起こして独裁権力を確立、1804年には皇帝に即位し、共和政は終焉を迎えフランス第一帝政に移行した。
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