ブランデンブルク門
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ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor) はドイツ・ベルリンのシンボルとされている門で正面部はパリ広場 (Pariser Platz) の東に面している。1868年に城壁が取り壊されるまでベルリンは都城都市だった。ブランデンブルク門は18箇所あった都城の門のひとつであり、残りの門が城壁の取り壊しとともに姿を消していく中、唯一残されたのがブランデンブルク門である。現在、城壁や都城の門は跡形もなくなったが、ベルリンには『~Tor(門)』という地名はそこかしこに残されている。どの地名もその門の先の都市の名前が門の名前になっており、ブランデンブルク門の場合はベルリンに遷都するまで、プロイセン王国の首都だったブランデンブルクに通ずる道を扼する役割を担っていた。ブランデンブルク門から東に向かうとウンター・デン・リンデンを経て王宮へとつながっており、プロイセン王族が、ベルリン市外に出てポツダムやティーアガルテンに向かう時には必ずこの門を通過する、ベルリンの正門と言っても過言ではない位置付けだった。ブランデンブルク門はフリードリヒ・ヴィルヘルム2世の命により1788年から3年間の建設工事を経て1791年8月6日に竣工している。これといった竣工式も行なわれないまま門は開通、供用に付されたという。
第二次世界大戦後は、東ベルリンに属し、西ベルリンとの境界線がすぐ近くを通ることとなった。1960年に東ドイツがベルリンの境界線を封鎖し、後に「ベルリンの壁」と呼ばれる壁を建設すると、門の前を壁が通る形となり、門は通行できなくなった。1989年にベルリンの壁が崩壊し、現在は再び通行できるようになっている。