東ベルリン
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東ベルリン(ひがしべるりん、[独]Ost-Berlin、[英]East Berlin)は、1949年の東西ドイツ分裂から1990年の東西ドイツ統一まで、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の首都だった都市。第二次世界大戦終戦後にソビエト連邦が占領したベルリン東部の地域。ベルリン誕生以来の伝統的な都心部はほとんどが東ベルリンに属した。
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[編集] 概要
1961年8月13日から1989年11月9日まで、ベルリンの壁によって西ベルリンと分断されていて、東西冷戦の最前線だった。東ベルリンは、東ドイツの正式な首都であると同時にソ連の占領下でもあり(ドイツ再統一まで)、市内にはソ連軍も駐留していた。東ドイツ側では、東ベルリンは単に「ベルリン」、又は「ドイツ民主共和国の首都、ベルリン」(Berlin Hauptstadt der DDR)と呼ばれていた。東ドイツで発行されていた東ベルリンの地図には西ベルリンは描かれてなく空白だった。
[編集] 略歴
1949年10月7日、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)が成立する。
1953年6月17日、ベルリン暴動。
1961年8月13日、ベルリンの壁の建設が始まる。
1989年11月9日、ベルリンの壁崩壊。
1990年10月3日、東西ドイツ統一によって東ベルリンは正式に消滅した。
[編集] 行政区
東ベルリンは、以下の行政区によって構成されていた。
- フリードリッヒスハイン (Friedrichshain)
- ヘラースドルフ (Hellersdorf)
- ホヘンクロンハウゼン (Hohenschönhausen)
- ケーペニック (Köpenick)
- リヒテンベルク (Lichtenberg)
- マルツァーン (Marzahn)
- ミッテ (Mitte)
- パンコウ (Pankow)
- プレンツラウアー・ベルク (Prenzlauer Berg)
- トレプトウ (Treptow)
- ヴァイセンゼー (Weißensee)
[編集] 歴代市長
- フリードリヒ・エーベルト(息子) (Friedrich Ebert (Sohn)) (1948年 – 1967年)ヴァイマル共和国初代大統領フリードリヒ・エーベルトの息子。
- ヘルベルト・フェヒナー (Herbert Fechner) (1967年 – 1974年)
- エアハルト・クラック (Erhard Krack) (1974年 – 1990年)
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