ブラーン
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ブラーン (Бура́н, Buran) は、ソビエト連邦のツポレフ設計局が開発した宇宙船(宇宙往還機)である。ブラーンとは「吹雪」特に「ステップの猛吹雪」を意味する。日本では「ブラン」、「ブーラン」とも表記されることがあるが、後者は単純に間違いである(力点(アクセント)は「у」(u)ではなく「а」(a)にある)。
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[編集] ソ連版スペースシャトル
「ソ連版スペースシャトル」と言われることが多いブラーンだが、この言葉は必ずしも正確ではない。確かに初飛行はアメリカ合衆国のスペースシャトルより大分遅れたが、ソ連はそれ以前から米スペースシャトルのような形をした、有翼往還宇宙船の構想を持っていた。この構想の宇宙船模型と、ソ連宇宙飛行士第一期生だったユーリイ・ガガーリンらが一緒に写っている写真があるぐらいであるから、初飛行の40年近く前から考えられていた宇宙船であると言える。その模型の形は、米スペースシャトル、ブラーンの両方に大変良く似ている。ブラーン初飛行時に、「アメリカのもののコピーだ」という批判に対する「理想的な形を追い求めた結果である」という反論は真実かもしれない。
[編集] スペースシャトルとの違い
米スペースシャトルとブラーンはその打ち上げシステムからして全く違うため、形が似通っているからと単純にその性能を比較することは出来ない。米スペースシャトルは、飛行機型宇宙船「オービタ」(スペースシャトルはオービタ、ブースタ、燃料タンクの全体を指す)に直接ロケットエンジンがついており、そのエンジンの燃料をオービターが腹に抱いている茶色の外部タンクから供給し、燃焼させている。3基あるそれらのエンジンでは離昇時にパワー不足なので、2本の固体ロケットブースタを外部タンクの両脇に装備させ、80トン近くあるオービタを地球軌道まで放り上げている。
それに対してブラーンは、離昇時に自力では何もしない。同時に開発された大型ロケット「エネルギア」に軌道まで運んでもらい、その間はただぶら下がっているだけである。このシステムでは、オービタにロケットエンジンを装備しなくていいのでオービタの自量が軽くなり、積載量が多くなるほか、身軽なので着陸時の速度を下げることができ、安全である。
[編集] シャトル計画のその後
ブラーンは1988年に無人で地球軌道を周回し、自動着陸を成功させた。予定では1992年に有人飛行を行うはずであったが、1991年のソ連崩壊と共にこの計画は消滅してしまい、1号機ブラーンはロシアの首都モスクワにあるゴーリキイ公園のオブジェとなって雨風にさらされてしまっている。また、2号機「ピチカ(小鳥)」(その他、地上テスト機)など、いくつものブラーン型派生モデル開発・製造途中であったが、これらも全て中止となった。実験モデルや試験機の内の一つは、オーストラリアの博物館に引き取られ、保管・展示がされている。
- なおブラーンには、An-225ムリーヤというアントーノフ設計局が設計・製造した世界最大の航空機が専用機として輸送の任にあたっていた。こちらは世界最大の貨物機として現役で活躍中である。
また、一時は放置状態だったAn-225が現役復帰する際にブラーンを商用衛星打ち上げ用として復帰させる計画もあった。実際には実現しなかったが、ロシア政府はプロトンロケットの限界を超える要求が今後増加した場合に備えて、本気でブラーンを現役に復帰させる計画を持っているといわれており、計画も「現時点で凍結」に改められている。
2005年に日本で行われた愛・地球博のロシア館でも有翼の宇宙飛行船の模型が出品されており、ロシアは決してこのタイプの宇宙飛行船を諦めてはいないのである(展示は有翼宇宙往還船の計画を持っていたJAXAやESAの興味を引かせ、自国の計画に引き入れたいためだと分析されたが、一方でロシアはソユーズ同様使い捨ての新型機開発も進めており、日欧を開発に参加させる為の「おとり」だったと見る分析もある。)。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ソ連 有翼型再利用有人宇宙船(MKS)計画(ブラーン)
- ブラーンの現役復帰計画の存在を伝えるニュース記事
- コスモリョートを追う
- ソ連製スペースシャトル(ブラーン)専用輸送機
- OW-C103/Duckbill
- Energia - All about the HLLV ※ 英語
- Experimental lifting body which aided Buran space shuttle development ※ 英語
- К десятилетию полета корабля ※ ロシア語
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