ブルース・リィ
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ブルース・リィ(本名:ホー・チョン・ドー(何宗道))は中華民国の武道家。ブルース・リーのソックリさんとして、一連の「ソックリさんブーム」の中では随一の存在だった。
[編集] 人生と映画キャリア
1954年に生まれたホー・チョン・ドーは、若い頃に武道を習い、中華民国と香港で「ジェームズ・ホー」という芸名でスタントマンをしていた。
ブルース・リーの死後、香港映画界はホー・チョン・ドーがブルース・リーにソックリである事に注目し、死亡遊戯のプロデューサーが映画の後半にブルース・リーの代役として出演するよう打診したが、ホー・チョン・ドーは辞退した。この後、ホー・チョン・ドーはプロデューサーの俳優のジミー・ショウと契約し、「ブルース・リィ(黎小龍)」という芸名を与えられる。
ホー・チョン・ドーは軍役を終えるまでに、『グッド・バイ・ブルース・リー』に出演。伝記作品『若き日のブルース・リー』『ブルース・リー物語』(ともに1976年)への出演でスターになるきっかけをつかむ。
台湾・香港のプロデューサー達は、彼をブルース・リーとはっきりクレジットし、またブルース・リー本人の写真をポスターに使用していた。
更に『ブルース・リー・バーサス・スーパーマン』では、グリーン・ホーネットの助手であるカトーをブルース・リー本人そっくりに演じた。
プロデューサー達はブルース・リーの正式な後継者として売り出そうと『ブルース・リーを探せ!』(1976年)を製作した。
一部では『ザ・タイガー』として知られる、アンジェラ・マオ主演の『リターン・オブ・ザ・タイガー』で、ホー・チョン・ドーはポール・スミスと戦闘シーンを繰り広げている。
しかし「新・死亡遊戯/7人のカンフー」に出演するが、この映画で人生を台無しにすることになる。
1978年には、(非公式の)続編である『ドラゴン怒りの鉄拳2』『ドラゴン怒りの鉄拳3』にも出演。また同年、伝記映画「ブルース・リー物語」でブルース作品の戦闘シーンを再現するなど、再びブルース・リー役を演じ、ブルース・リーの優れた伝記映画の一つとして愛好者から評価されている。
彼は日本のテレビドラマ「Gメン'75」の香港カラテロケシリーズの第11・12弾「Gメン対世界最強の香港カラテ」「Gメン対世界最強の香港カラテPART2」、続く第13弾「香港カラテ殺人旅行」にもゲスト出演し、Gメンの助っ人役として素晴らしい本場のカンフー技を見せていた。
80年代まで武道映画に出演し続け、『ザ・チャイニーズ・スタントマン』(1981年)では自身で監督も務めた。
だが、ホー・チョン・ドー自身は、ブルース・リーのそっくりさんを演じるのを嫌がっており、映画には出演しなくなっていった。
夫人を癌で亡くした後、1985年に台湾に帰国、台北のピンチュン大学で念願であった体育教師に就くかたわらコメディアンの見習いに武道を教えるなど、映画界からは退いた。 その後はカンフー・スターのドキュメンタリーなどに出演した。
[編集] 現在
台湾のウェブサイト「整復師健康支援網」において、「金級整復師」としてその名前(何宗道)と近影を確認する事が出来る。
[編集] 関連項目
ブルース・リー物語