ブロックくずし
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ブロックくずしとは、ビデオゲームの一つのカテゴリ名で、1970年代後半から1980年代にかけて登場した、いわゆる反射型ゲームの一種。
画面上を反射しながら移動するボールを、画面下部に落ちないように、パドル(バー)を左右に操作して打ち返し、煉瓦状に並べられたブロックを消していく。それまでのポンタイプのゲームが二人プレイを前提としていたのに対して、一人でのプレイを前提とし、より変化に富んだプレイが可能となった。そのシンプルなゲーム性ゆえに今なお、携帯電話などで同種のゲームが提供されている。
時代や内容から、アタリによるオリジナルの「ブレイクアウト」、「ブロック以外に当てるゲーム」、「リメイク」の3種に大別されるので、この順に説明していく。
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[編集] ブレイクアウト
ブレイクアウトには「壁破りの脱獄」という意味がある。一般に「ポン」や「テトリス」のような無機質キャラゲームと思われがちだが、囚人が壁うちテニスのふりをして塀を崩すことがモチーフになっており、全部崩しても新しい壁が出て来るので、結局脱獄できない。タイトルロゴデザインにはBREAKとOUTの間に、ラケットで玉を打ち返す縦じま服の囚人が、アメリカ調の漫画絵で描かれている。なお後述の日本では筐体やチラシにイラストが必要な場合、テニス、卓球、ゴルフ等、道具でボールを打ち返すイラストになっている。
アイデアはアタリのトップ、ノーラン・ブッシュネルがハワイに旅行中考えついたものとされているが、Exidy社の「クリーン・スウィープ(Clean Sweep)」の亜流ではないかとする説もある(このゲームは日本ではセガから「イレース」の名でライセンスされている)「クリーン・スウィープ」は、ボールが突き進むとブロックが連続して消えるが(ほぼ同じ時代に出た任天堂の家庭用ブロックくずしにも同じ内容がある)、「ブレイクアウト」はボールが跳ね返って一つずつ破壊する点が異なる。実際の所、ブッシュネルはこれまで出して来たゲームのアイデアを、他のゲームから流用している(スペースウォー! → コンピュータースペース、Magnavox Odyssey → ポン等)またブッシュネルが直接開発に関わった最後のゲームで、以後ブッシュネルは経営のみに専念することになる。
後にアップルコンピュータを創設するスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの二人が関わったことでも有名である。「二人が開発した」と誤記された文章がよくあるが、ゲームデザインや基板の基本設計自体には関わっておらず、二人がやったことは回路の部品減らしである。その顛末は「スティーブ・ジョブズ」を参照。その縁か、iPodにもミニゲームとして収録されている。
アタリにとって『ポン』以来のヒット作となり、1978年には「ボールもラケットも2つずつ」「ブロックが降りて来る」「予備のボールが2つ捕らえられている」と3種類のブロックくずしができる『スーパーブレイクアウト』が発売されたが、『スペースインベーダー』のヒットに隠れてしまっている。
[編集] 日本の『ブロックくずし』
日本では早くから海外メーカーからのライセンス生産を得ていた、タイトーが発売したのが始まりである。さらにタイトーは従来ボックス式しか無かった筐体に対し、テーブル式を開発した。これはタイトー(とセガ)が元々ジュークボックスの輸入販売で、あちこちの飲食店にコイン投入式機械を収める得意先を持っていたのがきっかけで、喫茶店で接客テーブルとゲーム機どちらでも使える筐体を置くことにより、店にとって効率良い営業を目指したものである。これは予想以上の成功を収め、喫茶店が大きなゲーム市場として開かれていった。以後テーブル筐体は「スペースインベーダー」のヒット時にも起爆剤となり、1990年代までその姿が日本のあちこちで見られた。
日本の中堅ゲーム会社の多くは『ブロックくずし』でビデオゲームに参入した。主な会社だけでユニバーサル(後のアルゼ)を皮切りに、レジャック(後のコナミ)、新日本企画(後のSNK)、IPM(後のアイレム→アピエス)、豊栄産業(後のバンプレスト)、シグマ(後のアドアーズ)、サン電子、日本物産、データイースト等そうそうたるメーカーが並ぶ。任天堂(レジャーシステム)のアーケードデビュー作は「コンピューターオセロ」だが、2作目はやはり「ブロックフィーバー」である。最初からテーブル筐体やCPUを採用したメーカーもあった。
当時ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)はアタリとの距離が近かった時代であり、他社のブロックくずしがコピーゲームであるとしてアタリに何度も訴えたが、ブッシュネルからは何も反応が無かった(この頃Atari 2600の販売開始に必要な資金繰りが大変で、日本まで手がまわらなかったことも理由の一つである。なおアメリカではブレイクアウトのコピーゲームはほとんど出なかった)ナムコも遅れてやっとブロックくずしを発売したが、その頃には前述の二流メーカー達にすっかり遅れをとっていた。日本としてもナムコとしても黎明期だからという説明もできるが、その後のナムコの大躍進ぶりからすれば、今となっては信じられない話である。
しかしこうしたメーカーの競合で、早くもブロックくずし市場は飽和状態となり、各メーカーは障害物が登場する続編または追加基板キットを発売し、客離れを防ごうとした。だがそれは単純にゲームが難しくなっただけであり、改造基板も壊れ易くなり、ブロックくずしのブーム終焉を加速させてしまった。まだこうした新規メーカーにはオリジナルのゲームを作る力はなく、後述する「サーカス」のコピーゲームを作るのが関の山だった。しかしタイトーがブロックくずしを下敷きに、日本で一大ブームとなった『スペースインベーダー』を発売、各メーカーは『スペースインベーダー』のライセンスやコピーゲームを出すことで、より会社を大きくしていった。ブロックくずしは日本のゲーム会社の生みの親、インベーダーは育ての親ということができる。
[編集] その他
- ズンズンブロック(タイトー)
- 「スーパーブレイクアウト」の1ゲームと同じで、ブロックが段々降りてくる。風車に当たると上に戻る。
- キャッスルテイク(三共)
- ブロックのある場所が和城の型をしており、全てブロックを消すと炎上する。当時としては極彩色だった。
[編集] ブロック以外に当てるゲーム
- ジービー
- 1978年に登場したナムコのアーケードゲーム第一号。バンパーやスピナーといったピンボール的な得点要素が加わっている。翌年には色セロファンを使用した『ボムビー(BOMB BEE)』や、条件を満たすとモンスターが現れ、倒すと得点がもらえる等ボーナスキャラの増えた『キューティーQ(en:Cutie Q)』という改良版も発表されており、現在ではプレイステーション用ソフト『ナムコミュージアム Vol.2』に収録されている(ただしボムビーは裏技で出現するようになっている)。当時はこちらも「スペースインベーダー」に隠れていまいちヒットせず、ナムコ真の出世作は「ギャラクシアン」からとなった。
- サーカス(Exidy)
- シーソーを操作してピエロを飛ばし、画面上部の風船に当てる。日本でも多数のコピーゲームが作られた。
- PT麻雀(IPM)
- 画面上部をスクロールする牌にボールを当て、14牌揃えて役を作る、日本初のアーケード麻雀ビデオゲーム。
- フィールドゴール(タイトー)
- アメリカンフットボールがモチーフで、ゴールの周囲を周っている選手を消し、ゴールに当てる。
- ストレートフラッシュ(タイトー)
- 画面全体にトランプのマークや、トランプに関係したキャラが配置されている。
- ピラミッド(三共)
- 「キャッスルテイク」のROM替えゲームで、画面全体に古代エジプトをイメージしたキャラが配置されている。
- モンキーマジック(任天堂)
- ブロックを配置して猿の顔が描かれている。ネーミングはゴダイゴによる当時のヒット曲より。
- プランプポップ(タイトー)
- 前述の「サーカス」のアルカノイド調リメイク。
[編集] リメイク
[編集] アルカノイド
タイトーが1986年に発表した、第二次ブロックくずしブームのきっかけとなったゲームである。敵キャラやパワーアップアイテムなど80年代半ば以降の要素を導入したことで、ユーザーに新しいゲームとして受け入れられ、他の1970年代のゲームもリメイクが行われることになった。詳細については「アルカノイド」を参照。
[編集] ネット上のゲーム
画像を使ったブロックくずしを作るシステムが幾つかの公開、これを使用したWebページが多数あり、爆裂健の制作したJavaアプレット「Bakuretu Block Applet」による脱衣ブロックくずしなども、多数発表されている。
[編集] 参考文献
- それは『ポン』から始まった:赤城真澄 アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 C3076
- スティーブ・ジョブズ ― パーソナル・コンピューターを創った男 (上,下): ジェフリー・S・ヤング ISBN 4-8806360-0-2,ISBN 4-8806360-1-0
[編集] 外部リンク
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