ペドロ・マルティネス
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ペドロ・マルティネス(Pedro Jaime Martínez 1971年10月25日 - )は、アメリカメジャーリーグ、ニューヨーク・メッツの投手。ドミニカ共和国出身。メジャーリーグ屈指の右腕投手といわれ、かつては「地上最高の投手」と称された。これまでにサイ・ヤング賞を1997年、1999年、2000年の3度受賞している。元メジャーリーガーでドジャースのエースとして活躍したラモン・マルティネスは実兄。
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[編集] 略歴
1988年6月にロサンゼルス・ドジャースと契約。1992年にメジャーデビューを果たす。
1993年のシーズン後にデリノ・デシールズとの交換トレードでモントリオール・エクスポズに移籍。
モントリオール在籍中の1995年6月3日のサンディエゴ・パドレス戦では、初回から27人の打者を打ち取り、完全試合を達成するはずであったが、味方打線の援護に恵まれず、0-0のまま延長戦に入り、10回の先頭打者に二塁打を許し、完全試合を逃す。
1997年に17勝8敗、防御率1.90、305奪三振、13完投を記録し、初のサイ・ヤング賞を獲得。
1998年にカール・パヴァーノ、トニー・アーマスとの交換でボストン・レッドソックスに移籍、同球団と6年間7500万ドルという当時としては投手として史上最大の契約を結ぶ。
1999年には23勝4敗、防御率2.07、313奪三振で自身二度目のサイ・ヤング賞を獲得する。最優秀防御率、最多勝、奪三振王と投手三冠を達成。奪三振率13.2は当時のメジャー記録。他にもオールスターMVPに輝くなど、あらゆるタイトルを総なめにした。同年のプレーオフでは怪我を押して登板し、クリーブランド・インディアンスとの第五戦でリリーフとして登板し六イニングを無失点に抑える。ニューヨーク・ヤンキースとのチャンピオンシップ第三戦で先発し、七回無失点で同シリーズでの対ヤンキース唯一の勝利をもたらす。
2000年には防御率1.74を記録し、三度目のサイ・ヤング賞を受賞する。先発投手がこれほどの防御率を記録するのは1968年以来である。さらにWHIPにいたっては0.74という驚異的な数字をたたき出した。これはメジャー最高の数字である。
2001年は肩の回旋鍵盤損傷のため不調に終わるが、2002年には復調し、20勝4敗、防御率2.26、237奪三振を記録する。
2004年のレッドソックスの86年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献し、シーズン終了後、フリーエージェントとなっていたが、ニューヨーク・メッツと総額4年5200万ドルで契約した。
2005年ニューヨーク・メッツで、15勝8敗、防御率2.82、208奪三振と好成績を残す。
2006年4月17日のアトランタ・ブレーブス戦で6と2/3イニングを6安打3失点に抑え、通算200勝を達成。 200勝を達成した時、負けが僅か84だったのは驚異的な記録である。 10月1日に右肩の手術を行うことを発表した。投球が再開できるまでには少なくとも8ヶ月はかかる見通しで、2007年シーズン前半戦の出場はこれで絶望となった。ただリハビリ後も本来の力が再び発揮できるかどうかは疑問で、本人も不安を感じており、2006年11月6日のニューヨークタイムズ紙には元通りに戻らないようであれば引退を考える旨のコメントを寄せている[1]。
[編集] 球場内外での波紋等
- マルティネスはこれまで、球場の内外で数々の波紋を巻き起こしている。 厳しい内角攻めのため与死球が多く、数々の遺恨・乱闘を生み出している。 2004年のアメリカンリーグ・チャンピオンシップシリーズでは、絶好調だった松井秀喜にビーンボールを浴びせて、その勢いを断った。松井はこのビーンボール前と後とでは全く別人のような成績を残している。
- ヤンキースとレッドソックスの間に続いていた「バンビーノの呪い」についても、「俺はあんなものを信じていない。 バンビーノとやらをたたき起こして俺のところに連れてこい。 言葉は悪いが、奴のケツに一発ぶち込んでやる」と言い放つ。
- 2003年のアメリカンリーグ・チャンピオンシップ第三戦では、自軍の打者に対する死球に激昂してマウンドに走りよった当時ヤンキースのベンチコーチで、当時72歳だったドン・ジマーの首に腕を絡めて地面に叩き落とし、波紋を呼んだ(ドン・ジマーは現役時代に死球により意識不明に陥った過去がある)。
- 2004年のシーズン終盤にはヤンキース戦で打ち込まれたせいか、「ヤンキースをダディー(daddy)と呼ぶ」などと白旗を上げるかのような発言をし、それをネタに野次を飛ばされたが、幸いにもチームはヤンキースを打ち破り、ワールドシリーズを制覇した。
[編集] 所属球団
- ロサンゼルス・ドジャース 1992 - 1993 (マイナーリーグ時代は含まず)
- モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ) 1994 - 1997
- ボストン・レッドソックス 1998 - 2004
- ニューヨーク・メッツ 2005 -
[編集] 投球について
以前は100マイルにせまるストレートで打者を圧倒していたが、度重なる故障により現在は最速でも90マイル前半がやっとである。だがストレートに加えチェンジアップ、カッター、カーブをコーナーぎりぎりに決めるコントロールは健在。特筆すべきはいずれの球もメジャー屈指のボールという点である。 毎年投球回数をはるかに越える三振を奪う。投球テンポが速いのも特徴で、打者に考えるスキを与えない。 100球以上投げるとバテ始めるので、スタミナ不足が指摘されている。
[編集] 獲得タイトル・記録
- サイ・ヤング賞 3回: 1997年 1999年 2000年
- 最多勝利 1回: 1999年(23勝)
- 最優秀防御率 5回: 1997年(1.90) 1999年(2.07) 2000年(1.74) 2002年(2.26) 2003年(2.22)
- 最多奪三振 3回: 1999年(313) 2000年(284) 2002年(239)
- オールスター選出 6回: 1996年-2000年、2002年
[編集] 年度別成績
年度 | チーム | 勝利 | 敗戦 | 防御率 | 試合 | 先発 | セーブ | イニング | 被安打 | 失点 | 自責点 | 被本塁打 | 四球 | 奪三振 |
1992 | LAD | 0 | 1 | 2.25 | 2 | 1 | 0 | 8.0 | 6 | 2 | 2 | 0 | 1 | 8 |
1993 | LAD | 10 | 5 | 2.61 | 65 | 2 | 2 | 107.0 | 76 | 34 | 31 | 5 | 57 | 119 |
1994 | MON | 11 | 5 | 3.42 | 24 | 23 | 1 | 144.2 | 115 | 58 | 55 | 11 | 45 | 142 |
1995 | MON | 14 | 10 | 3.51 | 30 | 30 | 0 | 194.2 | 158 | 79 | 76 | 21 | 66 | 174 |
1996 | MON | 13 | 10 | 3.70 | 33 | 33 | 0 | 216.2 | 189 | 100 | 89 | 19 | 70 | 222 |
1997 | MON | 17 | 8 | 1.90 | 31 | 31 | 0 | 241.1 | 158 | 65 | 51 | 16 | 67 | 305 |
1998 | BOS | 19 | 7 | 2.89 | 33 | 33 | 0 | 233.2 | 188 | 82 | 75 | 26 | 67 | 251 |
1999 | BOS | 23 | 4 | 2.07 | 31 | 29 | 0 | 213.1 | 160 | 56 | 49 | 9 | 37 | 313 |
2000 | BOS | 18 | 6 | 1.74 | 29 | 29 | 0 | 217.0 | 128 | 44 | 42 | 17 | 32 | 284 |
2001 | BOS | 7 | 3 | 2.39 | 18 | 18 | 0 | 116.2 | 84 | 33 | 31 | 5 | 25 | 163 |
2002 | BOS | 20 | 4 | 2.26 | 30 | 30 | 0 | 199.1 | 144 | 62 | 50 | 13 | 40 | 239 |
2003 | BOS | 14 | 4 | 2.22 | 29 | 29 | 0 | 186.2 | 147 | 52 | 46 | 7 | 47 | 206 |
2004 | BOS | 16 | 9 | 3.90 | 33 | 33 | 0 | 217.0 | 193 | 99 | 94 | 26 | 61 | 227 |
2005 | NYM | 15 | 8 | 2.82 | 31 | 31 | 0 | 217.0 | 159 | 69 | 68 | 19 | 47 | 208 |
2006 | NYM | 9 | 8 | 4.48 | 23 | 23 | 0 | 132.2 | 108 | 72 | 66 | 19 | 39 | 137 |
Total | ' | 206 | 92 | 2.81 | 442 | 375 | 3 | 2645.2 | 2013 | 907 | 825 | 213 | 701 | 2998 |