ホープダイヤモンド
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ホープダイヤモンドは、現在スミソニアン博物館のひとつである国立自然史博物館に所蔵されている44.50カラットのブルー・ダイヤモンド。『呪いの宝石』として著名。
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[編集] 歴史
以下は確実な史料に基づく内容である。
- フランス人ジャン・バティスト・タヴェルニエがダイヤを購入。112と3/16カラットあった。
- 「呪いの伝説」ではヒンドゥー教寺院に置かれた女神シータの彫像の目に嵌められていた2つのうちの1つを盗み、それに気づいた僧侶があらゆる持ち主に呪いをかけたとされる。また、タヴェルニエは「直後に熱病で死んだ」あるいは「狼に食べられて死んだ」ことになっているが、そのような事実はなく、84歳まで生きながらえた。
- タヴェルニエからフランス王ルイ14世がダイヤを購入。カッティングされ67と1/8カラットの宝石となり、「王冠の青」あるいは「フランスの青」と呼ばれた。ダイヤは王の儀典用スカーフに付けられた。
- 6人の窃盗団が王室の宝玉庫に侵入し、ダイヤを含む宝石類を強奪。当時はフランス革命のさなかで、国王一家は幽閉されていた。
- 1812年9月
- イギリスのダイヤモンド商ダニエル・エリアーソンがダイヤを所有していたことが記録に残っている。このダイヤが「フランスの青」から切り出されたものであることは2005年に最終的に確認された。また、この時点が今日につながるホープダイヤモンドの確実な記録としては最古のものである。
- このタイミングが窃盗からちょうど20年後であったことに、犯罪の時効との関連を見る向きもある。また、イギリス王室の記録にはないが、ジョージ4世がダイヤを入手したと信じる人もいる。
- ヘンリー・フィリップ・ホープの宝石コレクションとして記録される。彼はダイヤをブローチに取り付けて、義理の姉妹に当たるルイーズ・ベレスフォートにダイヤをしばしば貸し出し、彼女は社交パーティでそれを使った。
- ヘンリー・フィリップ・ホープ死去。以後3人の甥が10年以上に渡ってダイヤを含む宝石の所有権を裁判で争った。その結果、ヘンリー・ホープが宝石の相続人となる。
- ヘンリー・ホープは、1851年のロンドン万博と1855年のパリ万博にダイヤを展示したが、普段は銀行の大金庫に保管していた。
- ヘンリー・ホープ死去。未亡人のアデーレが宝石を引き継ぐ。
- 「呪いの伝説」では「ヘンリー・ホープは生涯独身だった」とされるが、上記の通り事実ではない。
- アデーレ死去。
- ヘンリーとアデーレの孫(娘の子息)であるヘンリー・フランシス・ホープ(以下フランシス・ホープと略記)がダイヤを相続。彼は名前に「ホープ」を加えることを条件にアデーレの遺産を相続した。ただし、それは終身保有権に限られていたので、裁判所の許可なしには一部といえど売却できなかった。
- フランシス・ホープ、アメリカ人女優のメイ・ヨーヘと結婚。
- メイは「ホープダイヤをいつも社交界の集まりで身につけ、女優業のために精巧な複製も作った」と証言したが、フランシスは否定している。
- フランシス・ホープ破産。ホープダイヤの売却を迫られ、メイもそれを手助けした。
- フランシスにホープダイヤの売却の許可が下りるが、メイは元ニューヨーク市長の子息のもとに走り、翌年フランシスとメイは離婚。フランシスは1904年に再婚する。再婚した夫人は1912年に亡くなり、しばしば「呪いの結果」といわれるが、3人の子どもをフランシスとの間にもうけている。
- ダイヤは2万9000ポンドでロンドンの宝石商アドルフ・ウィルが買い取り、さらにアメリカのダイヤモンド商サイモン・フランケルに売却する。フランケルはダイヤをニューヨークに持ち込み、14万1032ドル相当と評価される。
- フランケル、ダイヤをパリのソロモン・ハビブに売却。
- ハビブの債務弁済のためオークションに出され、約8万ドルでパリの宝石商ローズナウが落札。
- ローズナウ、ダイヤを55万フランでピエール・カルティエに売却。
- カルティエ、宝石を装飾し直してアメリカの社交界の名士エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに売却。
- マクリーンは当初ダイヤを使わなかったが、やがて社交の場でいつも身にまとうようになった。また、ペットの犬の首輪にダイヤを付けていたこともある。
- マクリーン死去(61歳)。彼女は相続人に、自分の孫の将来を考えて今後20年間売却しないよう遺言した。
- 「呪いの伝説」では「マクリーンは教会で祈祷させたが一族全員が死に絶えた」とされるが、孫がいることでもわかる通り事実ではない。
- 相続人はマクリーンの債務の弁済にダイヤを売却する許可を得て、ニューヨークのダイヤモンド商ハリー・ウィンストンに売却。
- ウィンストンは「宝石の宮廷」と名付けたアメリカ国内での巡回展や、各種チャリティーパーティーでホープダイヤを展示したが、売却はしなかった。
- ウィンストンはスミソニアン協会にダイヤを郵送して寄贈。
- ウィンストンは1978年に82歳で病没。
[編集] 呪いの伝説
いわゆる「呪い」の伝説では、上に注記した以外に次のような歴史が語られている。
- ?―ペルシア軍のインド侵攻の際ペルシアに渡り、軍の司令官が国王に献上する。
- 農夫はペルシア軍に殺害される
- 司令官は親族のミスが理由で処刑
- 国王は謀反で殺される
- フランス時代
- ルイ14世が宝石を入手した頃からフランスの衰退の一端の兆しが現れ始めた。ルイ14世以降のフランス経済は停滞し、フランス革命の原因となっている
- ルイ15世は天然痘で死亡
- ダイヤの持ち主となったルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、そろってフランス革命で処刑された。ちなみにマリー・アントワネットの寵臣ランバル公妃は、このダイヤを度々借りていた。ランバル公妃は革命軍によって惨殺された
- ホープ家の手を離れたあとの所有者
これらの登場人物のうち、フランス王室の3人、ランバル公妃、オスマン帝国のスルタン、窃盗団以外の大部分が実在したという確実な根拠がない。
「呪い」の話は、1909年にロンドン・タイムズの6月25日号において、パリの通信員が「悲惨な最期を遂げた」とする架空の所有者を多数含んだ記事を寄せたのが最初であるとされる。
さらにこれらの伝説を拡大する役割を果たしたのが、フランシス・ホープと離婚したメイ・ヨーヘだった。彼女は離婚後の愛人と別離し、ダイヤを愛人に奪われたと主張したり、自分の不運がダイヤのせいだと決めつけた。(不思議なことに、その愛人と再びよりを戻して結婚、再度離婚した)2度目の離婚後、メイは「ダイヤモンドの謎」という15章からなる本を他の執筆者の助けを借りて書き上げ、その中にさらに架空の登場人物を加えたのである。ついには彼女は自分の書いた本をベースにした映画を作らせ、それにフランシス・ホープ夫人役で主演し、ここでも話の誇張と人物の追加をしている。メイは映画の宣伝と自分のイメージアップのためにホープダイヤの模造品を身につけていた。
また、マクリーンはエカチェリーナ2世などの所有者を加えて話を脚色していたという。
[編集] 大きさの変遷
世界中を旅した宝石だけあって、その大きさはころころと変わっている。具体的にいうと以下のとおり。
- 112.50カラット―ルイ14世購入時
- 69.03カラット―14世がハート型にカットさせた為
- 44.50カラット―今に伝わる大きさ。どの時点でカットされたかは不明。
[編集] エピソード
- ウィンストンはまったく呪いを信じず、ジョークのネタにしていた。
- 上記のとおりルイ14世がカットさせた前後で大きさが約半分になった為、「本当はもう1個あるのではないか」と噂されている。
- フランシス・ホープの破産や離婚は「呪い」説を勇気づける?が、上記の通り多くの「呪い」の話が脚色や想像上のものである。
[編集] ホープ・ダイヤモンドを扱った(または類似した物が出てくる)作品
- ドラえもん「悪運ダイヤ」(てんとう虫コミックス8巻)―このダイヤがモデルと思われる。
- ルパン三世―ルパンが盗み出し、結局峰不二子が呪われた。
- タイタニック (映画)―濃いブルーのハート型のペンダント、ルイ14世のくだりなど、「碧洋のハート」のモデルはホープ・ダイヤモンドであると思われる。
- デバイスレイン(ゲーム)いわくつきのダイヤの「イデア」をコピーしたものとして登場。