ボストニアン
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ボストニアン
性別 | 牡 |
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毛色 | 栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1950年5月13日 |
死没 | 1967年 |
父 | セフト |
母 | 神正 |
生産 | ヤシマ牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 岡本治一 |
調教師 | 増本勇(京都) |
競走成績 | 28戦16勝 |
獲得賞金 | 849万1700円 |
ボストニアンは、日本の競走馬。1953年に皐月賞、東京優駿(日本ダービー)に優勝し二冠を達成した。
[編集] 戦跡
7番人気の低評価で皐月賞を制すと、この年新設されたNHK杯にも勝ち東京優駿に出走。この年の東京優駿は33頭が出走する史上最多頭数で行われ、その中の3頭が落馬するという大混戦となった。この中で1番人気に押されたボストニアンは直線鋭く追い込みダイサンホウシユウ以下に2馬身の差をつけ優勝した。
春に二冠を制したことでセントライト以来12年ぶりとなる三冠に挑戦する。10月に復帰するとまずオープンを3連勝。この3連戦で皐月賞2着馬ハクリヨウ、東京優駿2着馬ダイサンホウシユウを易々と降し三冠達成にに死角はないと思われていたが、ハクリヨウは菊花賞に向けて急激に力をつけてきており3馬身半差敗れ三冠はならなかった。
翌1954年は、鳴尾記念(秋)と阪神記念をレコードで制すなどそこそこの活躍を見せたが、天皇賞(春)でライバル・ハクリヨウに再び敗れ、この年を最後に引退した。
[編集] 引退後
引退後は種牡馬となり、セフトの後継種牡馬として人気を集めるも、全くと言ってよいほど活躍馬を出せず完全に失敗に終わった。種牡馬としての唯一の功績は、後に名牝系を築くアサマユリのみである。