マイケル・リー・ファーキンス
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マイケル・リー・ファーキンス(Michael Lee Firkins、1967年 - )は、主にブルース、カントリー、ジャズをルーツとしたジャンルの音楽活動を続けるアメリカ合衆国のギタリスト、作曲家。
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[編集] 略歴
ネブラスカ州オマハ生まれ。彼の父親は、ラップスティールギターの演奏家であり、母親はピアニストだった。
八歳にして、アコースティックギターをほぼ独学で弾き始める。その後地元オマハにてレッスンも受けて、流行の音楽を学んでいく事になるが、当時は、Lynyrd Skynyrd, Led Zeppelin, AC/DC, Black Sabbathなどに傾倒していた。 その後ツアー生活などでさらに音楽的素養を向上させた彼は、五曲のデモ音源をシュプラネルに送り、(マイク・ヴァーニーを社長とし、数多くの速弾きギタリストをデビューさせてきた)、1990年に同レーベルから1stアルバム「MICHAEL LEE FIRKINS」を発表。豊富な音楽性に裏打ちされ、モダンなセンスを感じさせる多彩な楽曲、よく歌うギター、圧倒的なテクニックをバランスよく含んだそのアルバムは、スティーヴ・モーズ、スティーヴ・ルカサー、エリック・ジョンソン、ジョージ・リンチなどの所謂、ミュージシャンズ・ミュージシャンを中心して絶賛を受ける。
1stアルバムは、十万枚を越すセールスを記録し、Guitar Player Magazineでは”Best New Talent”賞を得る。 その後、シュプラネルに三枚のアルバムを残した後、レーベルを離れ、カバー曲を中心とした(一曲だけオリジナル)四枚目のアルバム「DECOMPOSITION」を発表。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] ソロアルバム
- "Michael Lee Firkins"(1990年)
- "The Howling Iguanas"(1994年)
- "Chapter Eleven"(1995年)
- "Cactus Cruz"(1996年)
- "Decomposition"(1997年)
[編集] 音楽性
1stアルバムの高評価、そして十万枚を越すセールスに続いて、マイケルの名前を音楽シーンにおいてさらに有名にしたのは、Jason Beckerの2ndアルバム『PERSPECTIVE』での「End Of The Beginning」のプレイによるところが大きいだろう。話によると、この曲のアルペジオにおいてはJasonの作曲したフレーズをマイケルが完全に再現したというわけではないようだ。 が、ブルース、カントリーなどをルーツとしながらもクラシカルな奏法にも対応する様……、スウィープ、早弾きを含んだソロの完成度(ジェイソンに譜面で渡された、とのこと)、曲中のメロディに対する理解度、鐘のなるようなクリーンなギターサウンド、等、自身の素晴らしいテクニックを披露し、病に冒されたジェイソンと心が100%シンクロした、とまで言われるほどのプレイを聞かせている。
だが、それはマイケルの一面に過ぎず、彼は本来はブルースを基調した曲調を最も得意とする。 それは彼の2ndソロアルバム以降顕著に現れるようになるのだが、シュプラネルからデビューした1990年当時は、ブルースやカントリーのルーツ意識は見事なまでに消化されているが、全体的には都会的なサウンドを聞かせていた。
フィンガーピッキングを駆使した曲や、カポタストを使った曲など、イングヴェイ・マルムスティーン、エディ・ヴァン・ヘイレンに代表される1980年代的ヘヴィメタル系ギタリストが多く在籍していたシュプラネルにおいてはかなりの偉才であった。 フィンガーピッキングについては、1stアルバムにおけるRunaway Trainにて顕著だが、カントリー系の影響が強い。 シュプラネルにデモ音源を送る数年前から、カントリーを好んで聞くようになった彼は、Jerry Reed, Chet Atkins, Albert Lee, Danny Gattonあたりをフェイヴァリットとしている。
もう一つ、彼の最大の奏法面での特徴はロック式アームを最大限に活用したアーミングだろう。 現在の(1990年代以降の)Jeff Beckが得意とするテクニックだが、時系列的にみても彼の影響というわけではないようだ。 フィンガーピッキングにてピッキングした弦をアームで巧みに揺らす事で再現するスライドギター風のプレイは、音のトーンまでもそれらしく、後々彼は”ギミックにすぎなかった”と語るものの当時これほどのテクニックを持つギタリストはほとんど居なかった事を考えても高く評価されるべきものである。
3rd, 4thアルバムでは、さらにジャズ、ブルースに接近したサウンドを見せながら、ニューエイジ系にも通じるアーティスティックな曲も書くなど、より自身の内側を見つめたサウンドへと変化していく。 その後の5thアルバムでは、今まで自分が影響を受けてきたアーティスト達のカバーを中心にした選曲である。 一曲のみここで披露されているオリジナルは、元はロバート・プラント(Ex.Led Zeppelin)のギタリストオーディションに向けて書かれた曲らしい。だが、そのオーディションに落ちたマイケルはここにニューエイジ系の影響を感じさせながらも、ハードなリードギターをフィーチャーした傑作へと仕上げてきたのである。
そのほかのカバーも秀逸で、アーミングにて再現していたスライドも本来の形に戻し、デュアン・オールマンあたりの影響を感じさせるダイナミックなスライドプレイを披露した。
[編集] 関連項目
カテゴリ: アメリカ合衆国のギタリスト | ネブラスカ州の人物 | 1967年生