マッテオ・ダ・ペルージャ
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マッテオ・ダ・ペルージャ(Matteo da Perugia, 活躍:1400年 - 1416年)は、中世イタリアのアルス・スブティリオルの作曲家。おそらくペルージャの出身。1402年から1407年までミラノ大聖堂の楽長に就任。任務のかたわら、大聖堂の聖歌隊から選抜された3人の少年に音楽を教えていた。生涯についてこれ以上のことは知られていない。ヴィリー・アーペルは、彼こそが当時の最高の作曲家と断言して憚らないが、この説を裏付けるだけの様式研究ができるほど十分な作品数が残されているわけではない。現存する作品には、カウンターテノールのための数多くの作品が含まれており、このため誤って彼がカストラートであると伝えられてきた。当時のあらゆる楽式を手懸けており、ヴィルレー、バラード、ロンドーなどに曲付けをした。