マリアナ諸島
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マリアナ諸島(Mariana Islands)は太平洋西部に位置し、南北約800kmに連なる約15の島から構成される列島。小笠原諸島の南にあたり、北緯13度から21度、東経144度から146度の間に弧状に広がっている。
[編集] 概要
名の由来は、この島を訪れたカトリック司祭でイエズス会宣教師ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス(Diego Luis de Sanvitores)が、スペイン王フェリペ4世の王妃マリアナ(Mariana de Austria, 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘)にちなんで、17世紀初頭に「マリアナの島」(Islas de las Marianas)と名づけたことによる。
南端のグアム島を除く島々を、北マリアナ諸島と称し、サイパン島より北の島々を北部諸島(Northern Islands)と称する場合もある。グアム島を除いた総面積は477平方kmで、最も高い標高はアグリハン島の965mである。これはミクロネシア全体でも、最も高い標高である。
全ての島が火山起源であるが、南部のグアム島からファラリョン・デ・メディニラ島 までは古い火山で、長い間活動しておらず周辺の珊瑚礁が良く発達している。北部の9つの島は地質学的に新しく、現在も活動している火山が多い。
マリアナ諸島は、 1521年の発見以後スペイン領であったが、米西戦争によってグアム島が1898年にアメリカ合衆国に割譲され、残る島嶼もドイツへ売却された(正式な領土化は翌年)。売却額は2500万ペセタであった。
1914年、第一次世界大戦が勃発し、連合国側についた日本軍はドイツ領マリアナ諸島に侵攻し、実効支配下に置いた。戦後発足した国際連盟によって、マリアナ諸島は日本の委任統治領と認められ、サイパン島を中心に日本人による殖産興業が進められた。
その結果、サイパン島、グアム島、テニアン島は太平洋戦争中、戦略上の要衝として、多くの民間人を巻き込んだ地上戦の舞台となった。またアメリカによる占領後のサイパン島、グアム島、テニアン島は日本本土に対する戦略爆撃の基地として利用された。
現在、グアム島はアメリカ合衆国の准州、北マリアナ諸島は同国の自治領。人口は2000年の調査では、グアム島が154,805人、北マリアナ諸島が69,221人(うちロタ島3,283人、テニアン島3,540人、サイパン島62,392人、北部諸島6人)
[編集] 各島
- グアム島
- ロタ島
- アギガン島
- テニアン島
- サイパン島
- ファラリョン・デ・メディニラ島
- アナタハン島
- サリガン島
- ググアン島
- アラマガン島
- パガン島
- アグリハン島
- アスンシオン島
- マウグ島
- ファラリョン・デ・パハロス島