マーク・ケアー
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マーク・ケアー | |
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基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | ザ・タイタン 霊長類ヒト科最強の男 |
階級 | ヘビー級 (PRIDE、UFC) |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1968年12月21日 |
出身地 | アメリカ合衆国 オハイオ州 |
現居住地 | アメリカ合衆国 |
スタイル | レスリング |
戦績 | |
総試合数 | |
総勝利数 | |
KO勝ち | |
一本勝ち | |
判定勝ち | |
総敗北数 | |
KO負け | |
一本負け | |
判定負け | |
引き分け | |
無効試合 |
マーク・ケアー(Mark Kerr、1968年12月21日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の総合格闘家。身長185cm、体重115kg。
[編集] 来歴
アマチュアレスリング時代は全米王者になるなどマーク・コールマン、カート・アングルらと共に活躍。
UFCヘビー級トーナメントを2連覇した後、1998年3月、PRIDE.2におけるブランコ・シカティック戦でPRIDEデビュー。
人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられたが、1999年イゴール・ボブチャンチン(PRIDE.7)に失神させられた(試合結果はボブチャンチンの反則によるノーコンテスト)ことから著しく精細を欠き始めた。
スタミナと体重があり、打撃が得意ではないため、グラウンドでじっくり攻めることが多い。それが「消極的行為」と主催者や一部マスコミから叩かれてしまったことからファイトスタイルを変更したが、それが裏目に出てしまったといわれている。
2001年にヒース・ヒーリング(PRIDE.15)に惨敗し、その後ZERO-ONEでプロレスの試合を数試合行った後、PRIDEはおろか、マット界から数年姿を消した。 この間に、自身の麻薬中毒経験がアメリカのドキュメンタリー番組で放送され、大きな波紋を呼んだ。
2004年のPRIDE.27で復帰し山本宜久と対戦するも、自らタックルにいったところでリングに頭部を強打し失神するという、前代未聞の負け方を喫した(プロレス技のDDT)。敗北自体はケアーの自滅という側面が強いが、かつてのパワーの源であった筋骨隆々の肉体は、薬物乱用と長期のブランクにより弛んで矮小化してしまっており、往年の姿を知る人間にとっては見るも無残な姿であった。
2006年にアメリカの大会で復帰が決定したが、怪我で欠場。同年11月にIFLに出場したがレフェリーストップにより敗北。2007年2月にイギリスの総合格闘技大会Cage Rageに出場するも、パウンドを浴びタップアウト負け。
[編集] 獲得タイトル
- 1999年、第2回 アブダビコンバット 99kg以上級 優勝
- 2000年、第3回 アブダビコンバット 99kg以上級 優勝(2連覇)、無差別級 優勝