マーク・コールマン
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マーク・コールマン | |
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基本情報 | |
本名 | |
あだ名 | アルティメット・ハンマー 赤鬼 |
階級 | ヘビー級(PRIDE) |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1964年12月20日 |
出身地 | ![]() オハイオ州 |
現居住地 | ![]() |
スタイル | レスリング |
戦績 | |
総試合数 | 22(UFC、PRIDE他) 06/2/27現在 |
総勝利数 | 15 |
KO勝ち | 4 |
一本勝ち | 8 |
判定勝ち | 3 |
総敗北数 | 7 |
KO負け | 2 |
一本負け | 3 |
判定負け | 2 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
マーク・コールマン(Mark Coleman、1964年12月20日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身の総合格闘家。身長185cm、体重108kg。ハンマーハウス所属。
PRIDEでは同じくハンマーハウス所属で弟子でもあるケビン・ランデルマン、フィル・バローニと共に「筋肉三兄弟」という妙なニックネームがついている。コールマンは長男。
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[編集] 来歴
1991年レスリング世界選手権フリースタイル100kg級2位、1992年バルセロナ五輪レスリング・フリースタイル7位と、アマチュアレスリングにおいて卓越した競技実績を残す(後、オハイオ州にレスリングの実績を認められ殿堂入りを果たす)。
レスリングでは食べていけなかったコールマンはUFCに参戦。プロ転向を決意させるきっかけとなったのは、アメリカのケーブルテレビでたまたま放送していたUWFインターナショナルの高田延彦の試合を目にしたからと言われる。その番組で高田延彦と戦っていたのはコールマンと同じレスリング出身者のゲーリー・オブライトであった。
ろくに総合格闘技の練習をしないまま、コールマンはレスリングのバックボーンを活かしたタックル、頭突き、パウンドという後にレスラーの基本戦法となる戦い方を確立し、当時UFCを席巻していたブラジリアン柔術家達を、パワーでねじ伏せていった。その勢いでトーナメントでUFC11、UFC12と優勝し王者に。ドン・フライ、マーク・ケアーらと並んで、レスラーの総合格闘技に於ける可能性を開拓した人物と称される。また興奮すると体が赤くなりやすい体質から、赤鬼と呼ばれることもある。
しかし打撃系の格闘家に弱く、またスタミナにも難があり、モーリス・スミスにKO負けするなどして戦績が振るわなくなり、UFCから撤退する。
その後PRIDEに参戦し、高田延彦と疑惑の一戦を繰り広げた後、PRIDE GP 2000にエントリー。持ち味を生かしたタックル→押し込みというファイトスタイルで優勝する。決勝のイゴール・ボブチャンチン戦で勝利した瞬間、興奮してトップロープに登ろうとして足を滑らせ転んだり、そのままリングから駆け下りて花道近くのファンと喜び合ったりと、大きな体格と厳つい顔に似合わぬはじけっぷりでファンの話題となった。
またPRIDE.13のアラン・ゴエス戦では四点ポジションからの膝蹴りで勝利したが、失神した後意識を取り戻したゴエスが、試合が終わったと知らずにコールマンの足に掴みかかるというハプニング。その時の素でびっくりしているコールマンもファンの心の中に残っている。
しかし引き抜かれてきた当時のリングス KOK 2001王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの挑戦を受け対戦するも、ノゲイラの打撃の前に終始圧倒され、最後は腕ひしぎ三角固めで敗北。その後首の負傷で長期戦線離脱を余儀なくされる。
事実上の復帰戦となったPRIDE.26では、因縁の対決と呼ばれたドン・フライ戦を行う。しかし首が完治していない中での試合で、勝ちはしたものの思ったようなパフォーマンスが出来ず、双方に消化不良というものになった。更に家族との離婚調停が進み、愛娘二人と別れるという辛い現実もコールマンを襲った。
その後躊躇していた首の手術を決行し見事成功。PRIDE GP 2004に参戦して、1回戦でヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルと"新旧王者対決"というふれこみで対戦する。非常に腰が強くバランスもいいヒョードルを2度にわたってテイクダウンし、一時はバックからスリーパーを狙うという好機も作るが、最後は下からの腕十字で敗北する。
その後PRIDE男祭り2004で、弟分的存在であるケビン・ランデルマンがミルコ・クロコップにリベンジされると、弟の仇討ちと称しPRIDE.29で対戦。再三にわたり強烈なタックルを敢行するも全て切られてしまい、最後は強烈なパンチでKO負けを喫する。しかしそのリング上で、「I won't quit(オレはやめねえぞ)」と叫び続けるコールマンには温かい拍手が送られた。
2006年2月26日のPRIDE.31では、ミドル級最強と言われているマウリシオ・ショーグンをTKOで破り、コールマン復権のきっかけをつかんだ。40歳をとうに越えた現在でも、格闘家最強を目指し飽くなき挑戦を続けており、「俺が格闘家を辞めるのは、体がまったく動かなくなった時か、リング上で死んだ時だ」と悲壮な生涯格闘家宣言を表明している。
総合格闘技と並行して、ZERO-ONEやハッスルのリングにおいてプロレスの試合も行っている。 ハッスルでは酒好きのキャラクターを演じ、「マーク・アルコールマン」というあだ名がつけられた。
[編集] 獲得タイトル
- UFCヘビー級王座
- PRIDE GP 2000 優勝