ミハエル・コーガン
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ミハエル・コーガン(Michael Kogan、1920年1月 - 1984年2月5日)は、ロシア系ユダヤ人の実業家、タイトー創業者。ロシア帝国のオデッサで生まれたが、ロシア革命の混乱を避けるため満州のハルビンに移住。いわゆる白系ロシア人ともいえる。
1938年にハルビンで開催された「第2回極東ユダヤ人大会」では、シオニスト青年団の1人として参加し、ハルビン特務機関長樋口季一郎中将、大連特務機関長安江仙弘(やすえ・のりひろ)大佐に出会う。
「極東のユダヤ人保護」に奮戦する安江大佐に感銘を受け、親日家となったミハエル・コーガンは、翌1939年(19歳の時)に来日し、東京の「早稲田経済学院」で貿易実業を学んだ。5年間の日本滞在中、ロシア文学者の米川正夫の家に下宿し、ドストエフスキーの著作の翻訳を手伝った。
1944年に、コーガンは天津に渡り、貿易商を営み、1950年に再び来日。「太東洋行」という個人営業の輸入会社を始め、世田谷の仮住まいで雑貨の輸入業を営んだ。1953年に一度仕切りなおして株式会社太東貿易を創業、これが後のタイトーとなる。なお太東貿易以後の企業概要についてはタイトーを参照。
1954年、シベリアに抑留され病死した安江大佐の葬儀の開催に尽力する。
4月26日、青山斎場で行なわれた安江大佐の慰霊祭は、平凡社の下中弥三郎社長を委員長として執行された。駐日イスラエル公使、在日ユダヤ人協会長、陸士21期生代表など多数が参列した。
1984年、出張中にアメリカ合衆国のロサンゼルスで心臓発作により死去。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- それは『ポン』から始まった:赤城真澄 アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 C3076