ミヒャエル・グロス
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男子 競泳 | ||
金 | 1984 | 200m自由形 |
金 | 1984 | 100mバタフライ |
金 | 1988 | 200mバタフライ |
銀 | 1984 | 200mバタフライ |
銀 | 1984 | 4×200mリレー |
銅 | 1988 | 4×200mリレー |
ミヒャエル・グロス(Michael Gross, 1964年6月17日- )は、ドイツ(旧西ドイツ)の男子競泳選手。1980年代を代表する競泳選手の一人で、202cmの長身と237cmの長いリーチでバタフライを泳ぐ姿から『アルバトロス(あほうどり)』とも称された。
1981年に200mバタフライで世界新記録を樹立。競泳では東ドイツの攻勢に後れを取っていた西ドイツで国民的英雄になる。1982年の世界水泳選手権では200mバタフライと200m自由形で金メダルを獲得した。
グロスがその名を世界にとどろかせたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックで ある。200m自由形、100mバタフライをともに世界新記録で金メダルを獲得し、アメリカの金メダルラッシュに待ったをかけた(100mバタフライはマーク・スピッツのオリンピック記録を12年ぶりに更新するものであった)。世界記録を持つ200mバタフライでの3冠が確実視されたが、オーストラリアのジョン・シーベンに遅れを取り銀メダルとなる。また、4×200mリレーではアンカーとなり、最後のターンまでリードしながらアメリカのヘイズとのデッドヒートの末、わずか100分の4秒差で敗れた(アメリカ・西ドイツともに世界新記録であった)。
このオリンピックでの成績について、ジョン・ネーバーは「もしグロスがアメリカの選手だったら、6個か7個の金メダルを獲得してマーク・スピッツを上回っただろう」と当時雑誌のインタビューで答えている(リレー種目でのメダルが増えたという意味であろう)。
1988年のソウルオリンピックではアメリカのマット・ビオンディとの対決が注目を集めた。しかし、200m自由形、100mバタフライのいずれでもメダルを獲得できず、前回は金メダルを逃した200mバタフライでようやく金メダルを得た。
1991年に現役を引退。2012年の夏季五輪に立候補したライプチヒの招致活動に広報担当として参加した。
1985年のユニバーシアード神戸大会にも出場している。このとき、頭にカタカナで「ドイツ」という刈り込みを入れるという茶目っ気のある一面もあった。
[編集] オリンピック以外の主な成績
世界水泳選手権
- 200m自由形 - 金メダル
- 200mバタフライ - 金メダル
- 100mバタフライ - 銀メダル
- 4×200mリレー - 銅メダル
- 4×100mメドレーリレー - 銅メダル
- 200m自由形 - 金メダル
- 200mバタフライ - 金メダル
- 4×200mリレー - -銀メダル
- 4×100mメドレーリレー - 銀メダル
- 4×200mリレー - 金メダル
- 100mバタフライ - 銀メダル
- 200mバタフライ - 銀メダル
- 4×100mメドレーリレー - 銅メダル
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