ムスタアスィム
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ムスタアスィム(アラビア語: المستعصم بالله ابو احمد عبد الله al-Musta‘ṣim bi-Allāh Abū Aḥmad ‘Abd Allāh 、1212年 - 1258年2月10日、在位1242年 - 1258年)はアッバース朝最後(第37代)のカリフ。ムスタンスィルの息子。「ムスタアスィム・ビッラー」とはアラビア語で「アッラーにかけて固守する」ほどの意味。
1242年、父が急死したために即位するが、暗愚で惰弱な人物で1258年、モンゴル帝国のフレグがバグダードに攻め入ってくるとほとんど戦わずして降伏した。しかしフレグに、そのあまりにもカリフとして情けない信念を咎められ、モンゴルにおける貴人の死をもって処刑された。こうして名目上とはいえ存続していたアッバース朝は、完全に滅亡したのである。
なお、彼の父ムスタンスィルの弟にあたる人物はバグダードを落ち延びてマムルーク朝のバイバルスのもとに落ち延びて、ほとんど名目上ではあったがカリフとして即位した(その後はアッバース朝第30代カリフ、ラーシドの子孫がこの位を1517年まで継承する)。
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