ムスタンスィル
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ムスタンスィル(アラビア語: المستنصر بالله ابو جعفر منصور al-Mustanṣir bi-Allāh Abū Ja?far Manṣūr、1192年 - 1242年12月5日)は、アッバース朝第36代のカリフ(在位1226年 - 1242年)である。ザーヒルの子。
1226年、父の死後に即位する。この頃になるとモンゴル帝国の進出がこの地にまで広がるようになり、ムスタンスィルは挙国一致の軍備増強をはかり、対モンゴル戦を聖戦として戦おうとしたが、その用意を整えている大事なときになって急死した。
敬虔なカリフとして知られ、1234年にバグダードの市内にムスタンスィリーヤ学院(マドラサ)を創建した。それまでのマドラサは単一の法学派のために施設であったが、はじめてスンナ派4大法学派すべての教科が講議された。おりしもモンゴルの中央アジア・イラン侵攻という難関の時期であり、父ナースィルが目指した全ムスリムに対するカリフの強力なリーダーシップの復興という理念を受継ぐ、という彼の志向を反映した物だろうと言われている。
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