ヤスケ
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ヤスケ(やすけ、彌介、生没年不詳、16世紀後半)は、織田信長の家臣の一人で、現在のモザンビークあたりを出身とする黒色人種の男性であったと言われている。モザンビークの王子であったとする説もある。
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[編集] 概要
元々は宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに仕える奴隷であったと言われている。天正9年(1581年)、ヴァリニャーノが信長に謁見した際に連れられていたのが信長の目にとまった。信長は彼が身体に何か塗っているのかと思い、身体を念入りに洗わせた。しかし肌が黒いままなので、黒色人種という人間の事を理解した。信長は興味を持ち、ヴァリニャーノへ要望して献上され、そのまま信長の直臣になったと伝えられている。年齢は26・7歳、身長は6尺2分(約182.4cm)であったという。一説によれば、ヤスケは宣教師の奴隷のときには人間扱いされていなかったが、信長の家臣となってからは士分となったため、信長に大いに感謝したとも言われる。
ヤスケは、本能寺の変の後、明智光秀の手勢に捕まったが、光秀はヤスケを「人間ではない」として殺さず、「インドのバテレンのもとに送れ」と命じ、そのまま放逐したという。その後の消息は不明である。
[編集] ドラマでの描かれ方
本能寺の変に触れるドラマの中には、ヤスケが信長に殉じて討ち死にする描かれ方をされることもある。
- 秀吉(大河ドラマ)‐ヤスケは信長とともに戦い、信長に先んじて明智軍に殺されている。
- 信長 KING OF ZIPANGU(大河ドラマ)‐二条城の信忠に変の報告をするために寺を抜け出し、完全武装の鎧武者を素手で撲殺する。その後の消息は不明。
- へうげもの(漫画) - 信長殺害の真犯人を目撃した者として描かれ、秀吉に幽閉される。その後、古田織部の口利きにより許される。