ヤング案
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ヤング案(Young Plan)は、1929年に成立、1930年に調印された、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約で締結されたドイツの賠償方式を緩和、新たな賠償方式として作られたものである。 1924年成立のドーズ案に続く対ドイツ第二の緩和政策である。
[編集] 経緯
アメリカの財政家ヤング(Owen D. Young)をトップとする委員会で作成された。 賠償総額を約358億金マルクに軽減、さらに59年間払いに緩和された。
しかし、ちょうど同時期に発生した世界恐慌により、ドイツの経済は再び強烈な不況を迎えることとなり、1932年、スイスのローザンヌで行われたローザンヌ会議において賠償金はさらに減額され、アメリカへの戦債も解消したとみなされ、実質戦後補償は完了したものと考えられる。
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