ユーモア
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ユーモア(humor/humour)とは、会話や文章において相手を笑わせる事を意図する人間の気質や、具体的な言葉や行動においての表れをさす。特定の相手がいる場合が多いが、自己満足的である場合もある。具体的な行動としてのいたずらも含まれる。人間同士のコミュニケーションにおいて、会話を円滑にするための潤滑剤として用いられる事もある。
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[編集] 愉快さとユーモア
ユーモアに関係する概念としては、具体的な小話であるジョーク、単純な言葉遊びである駄洒落、より複雑で知的な言葉遊び、冗談、法螺(ほら)などがある。風刺の場合は世間の事象に対する鋭い観察や社会的な批判の視点が強い。ギャグの場合はたわいのないおかしさを狙うものである。
イギリス人のユーモアの感覚はつとに知られる。人の行為、かかわりについての深い洞察や世知の豊かさが、上品でセンスのあるユーモアを生み出すことが多い。知的な要素が強い場合は、機知(ウィット)と呼んだほうがよい場合もある。
小説、映画、漫画などの物語芸術では、まじめな話ばかりで読者を飽きさせないように、またあまりに深刻な雰囲気を和らげるためにコミック・リリーフと呼ばれるコミカルな登場人物を登場させることがある。たとえば、手塚治虫の作品などにはよくみられる。
[編集] 不愉快さとユーモア
特定のユーモアは、人によって不愉快、気が利いてない、つまらないと感じられる場合がいる。例えば、知的なセンスの誇示の手段としてユーモアが用いられた場合、自己顕示が強くなりすぎるとペダントリー(衒学趣味、知ったかぶり)に堕すこともある。性的なニュアンスを含んだユーモア表現もよく使われる。これは行き過ぎるとセクシャル・ハラスメントとなる。
単にほのめかすだけでなく、異様にグロテスクな話題を出す時、宗教・生命・差別などに関する常識的な倫理や禁忌(タブー)にあえて逆らい、世相と人柄を皮肉ったユーモアは「ブラック・ユーモア」と呼ばれる。穏やかなユーモアと比べて不愉快に感じる人間が多い一方で、その刺激を楽しむ人もいる。または差別の対象となる人間が、あえてブラック・ユーモアを口にする事もある。
[編集] ユーモアの達人
[編集] ユーモアをテーマにした作品
- 小説・随筆
- 吉田兼好『徒然草』
- ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー『ほら吹き男爵の冒険』
- 夏目漱石『吾輩は猫である』
- エーリッヒ・ケストナー『人生処方詩集』
- 漫画
- TV・ラジオ・映画