ヨハネス・ケプラー
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ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年12月27日 - 1630年11月15日)は、ドイツの数学者、自然哲学者・占星術師。天体の運行法則に関する研究でよく知られている。理論的に天体の運動を解明したという点において、彼は天文学者というよりも天体物理学者であると言う方がふさわしい。
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[編集] 生涯
- 1571年、[1]ヴァイル・デア・シュタットに生まれる。
- 1587年、テュービンゲン大学で数学を学ぶ。
- 1594年、グラーツの学校で数学と天文学を教える。
- 1597年、バーバラ・ミューラーと結婚。
- 1599年、ティコ・ブラーエ(1546-1601)に助手としてプラハに招かれる。
- 1609年、「新天文学」を執筆し「ケプラーの法則」の第1と第2法則もこの論文におさめられている。
- 1612年、リンツに州数学監の職を得る。
- 1618年、ケプラーの第三法則を発表。
- 1627年、ルドルフ表を完成。
- 1630年、レーゲンスブルクで病死。
[編集] 自然哲学
ケプラーの自然哲学の中心は惑星論にある。ケプラーは数を宇宙の秩序の中心とする点や天体音楽論を唱える点で自然哲学におけるピュタゴラス的伝統の忠実な擁護者であった。その反面、ニコラウス・コペルニクスやティコ・ブラーエも脱却できなかった、古代ギリシア以来の円運動に基づく宇宙論から、楕円運動を基本とする天体論を唱え、近世自然哲学を刷新した。
ケプラーの真の功績は、数学的な裏付けを持った物理モデルを提出するという方法の先駆者だった所にある。彼のモデルそのものは誤っていたが、結果的にこれはガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートンを経て古典物理学の成立へとつながっていく。
[編集] ケプラーの法則
ケプラー以前の天文学では、惑星は中心の星の周囲を完全な円軌道で運行すると考えられていた。曰く、完全なる神は完全なる運動を造られる、というものだった。これに対してケプラーは、惑星の運動を歪んだ円、もしくは楕円であるとした。惑星の軌道を楕円と仮定するとティコ・ブラーエの観測した結果を説明できることが分かり、後にケプラーの法則とされた。
ケプラーはまた、球を敷き詰めたときに、面心立方格子が最密になると予想した。この予想はケプラー予想と呼ばれ、長い間未解決の問題であったが、1997年に、トーマス・C・ハレスによって、コンピュータを駆使して解かれた。
[編集] 主な業績
- ケプラーの法則を発見した。
- 光の逆2乗の法則(強さが光源からの距離の二乗に反比例する)を証明した。
- 1631年の水星の太陽面通過を予言した。(ガッサンディにより証明)
- ケプラー多面体を2つ発見した。
- ケプラー式望遠鏡を発明したが実際には製作しなかった。
- 1607年の彗星を観測し記録を残した。この彗星は現在、ハレー彗星と呼ばれている。
- 雪の結晶が必ず正6角形になることを発見した。
- ケプラー問題を提起した。