リタイ
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肖像 | |
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なし | |
基本情報 | |
正式名称 | リタイ王 |
タイ語表記 | พระเจ้าลิไทย |
英語表記 | King Lithai |
別名・通称 | ルータイ王 (King Luthai、พระเจ้าลือไทย) |
称号 | マハータンマラーチャー1世 (พระมหาธรรมราชาที่ ๑) |
王朝・代 | スコータイ王朝6代目 |
統治地域 | 現在のスコータイ県を中心とする地域 |
誕生 |
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即位期間 |
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その他の呼称 |
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前の王 | グアナムトゥム王 |
次の王 | サイルータイ王 |
リタイ王はタイの古代王朝、スコータイ王朝の6代目の王である。ルータイ王とも表記されるが、日本語では同スコータイ王朝の4代目と混同しやすいので注意を要する。また、マハータンマラーチャー1世の名前もある。そのころ弱体化していたスコータイ領内でウートーンが謀反を起こしたため、渋々ウートーンのアユタヤーでの独立を認めた。これがアユタヤー王朝で、このとき即位したのがウートーン侯(ラーマーティボーディー1世)である。1371年(タイ仏暦1914年)にアユタヤー王朝の3代目王ラーチャーティラート1世に攻められた。
リタイ王は宗教的には、ワット・パーマムワン(仏教寺院)においてタイの王として初めての出家をした。1375年(タイ仏暦1918年)にはスリランカに使節を送りチナラート仏をチナシー仏を持ち込み同時にスリランカ僧を渡来させた。仏教徒ではあったが同時にバラモン教の思想を織り交ぜた仏教論を展開し、文学的才能を駆使して、スコータイ王家三界論を著した。この本に書かれている哲学は現在でも大きくタイの民衆の宗教観に影響した。
また、ラームカムヘーン大王碑文にあるタイ文字を改良した。また、今のピサヌローク、カンペーンペットを建設したりもした。