ルディ・サーゾ
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ルディ・サーゾ | ||
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ルディ・サーゾ(2006年)
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基本情報 | ||
本名 | Rudy Sarzo | |
生年月日 | 1950年 | |
ジャンル | ヘヴィ・メタル | |
担当楽器 | ベース・ギター | |
共同作業者 | クワイエット・ライオット オジー・オズボーン ホワイトスネイク ディオ |
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公式サイト | RudySarzo.com |
ルディ・サーゾ(Rudy Sarzo、1950年 - )は、キューバ出身のベーシスト、アニメーター。
目次 |
[編集] 来歴
1950年にキューバで生まれ、1961年にアメリカへ移住する。1978年にクワイエット・ライオットに参加してアルバムを制作するも、日本でのみ発売というローカルなものであった。サーゾの名を広めたのは、1981年3月に加入したオジー・オズボーンのバンドである。アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』に伴うツアーの模様は後に『トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ』として、さらにブラック・サバスの楽曲ばかりを演奏した『悪魔の囁き』として残っている。
1982年9月にバンドを脱退してクワイエット・ライオットに戻る。この時に発表したアルバム『メタル・ヘルス』は600万枚を売り、ビルボード・ポップ・チャートで初登場1位を獲得した初めてのヘヴィ・メタル・バンドとなった。続く『コンディション・クリティカル』でも300万枚の大ヒットとなった。
1987年4月にホワイトスネイクの一員となって『サーペンス・アルバス』のビデオとアルバムをサポートするツアーに参加、華やかなステージ・パフォーマンスは当時のロック・シーンに合致し、大きな人気を得ることになった。続く『スリップ・オブ・ザ・タン』の制作に参加し、これもマルチ・プラチナに輝く大ヒットとなる。しかしツアー後にバンドは崩壊し、グレイテスト・ヒッツ発売に伴うツアーが終了した1994年9月にホワイトスネイクは完全に解散する(のちの再結成には関与せず)。
1997年5月にクワイエット・ライオットの再結成に参加してアルバム『アライブ・アンド・ウェル』『Guilty Pleasures』の制作、さらに2003年8月までツアーを行う。
2004年2月にはイングヴェイ・マルムスティーンのバンド、ライジング・フォースに参加し、アタック!!のアメリカ・ツアーに参加する。終了後の4月にはディオに参加してツアーで世界を回る。現在もバンドに在籍するかたわら、アニメーターとしても活動している。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] クワイエット・ライオット
- Quiet Riot II (1979)
- メタル・ヘルス Metal Health (1983)
- コンディション・クリティカル Condition Critical (1984)
- アライブ・アンド・ウェル Alive and Well (1999)
- Guilty Pleasures (2001)
[編集] オジー・オズボーン
- 悪魔の囁き Speak of the Devil (1982)
- トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ Tribute (1987)
[編集] ホワイトスネイク
- スリップ・オブ・ザ・タン Slip of the Tongue (1989)
[編集] その他
- M.A.R.S. - Project Driver
- マニック・エデン - Manic Eden
- Sam Kinison - Wild Thing
- Sam Kinison - Under My Thumb
- アリス・クーパー - Got a Line on You (Iron Eagle II Soundtrack)
[編集] 外部リンク
- RudySarzo.com (英語)
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