ロクサーヌシャンテ
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ロクサーヌシャンテ(本名 ロリータ・シャンテ・グッデン 1969年11月9日-)は、アメリカのヒップホップ界における先駆者。ニューヨーク州 クイーンズに生まれ、公営クイーンズブリッジ住宅で育った。「ロクサーヌ・リベンジ」がニューヨーク界隈だけでも25万枚を超えるヒットを収め、それ契機としてヒップホップ界に地位を確立した。彼女のラッパーとしての経歴は14才のときに始まる。そのとき、彼女は偶然3人の男たちが、UTFOというグループが自分たちの企画したイベントを途中ですっぽかして帰ったという話をしているのを耳にした。その男たちは、ティローン・ウイリアムス、DJのミスターマジック、音楽プロデューサーのマーリーマールの3人であった。そこで、シャンテは、彼らに、UTFOの最新ヒットであり、彼(女)らの誘惑を無視した女性について語る「ロクサーヌ、ロクサーヌ」に応酬する形での録音を行わせてくれないか頼んだ。その男たちはその申し出を受託し、結果、「ロクサーヌ・リベンジ」が世に出ることになった。この挑戦的で、ちょっとした物議を醸す楽曲によって、彼女は一躍ヒップホップ界の新星となった。また同時に、ロクサーヌ戦争と呼ばれるラップを通じた対立が巻き起こった。この後、この偶然であった音楽プロデューサーであり、ヒップホップの歴史において最も影響力の強い音楽プロデューサーの1人であるマーリーマールが彼女のトラックの殆どを提供していくことになる。MCとして、シャンテは1曲通して、のびのびと即興ラップを行うことができるという非凡な才能を持っていた。即興一発で録音を終えたと言われている「ロクサーヌ・リベンジ」は、この能力の1つの典型であった。但し、UTFOがこのときの録音に自分たちのトラックが使われたことに対して告訴してきたので、オリジナル版が再録音された。殆どの人々が聞きなれているのは、1984年に発売されたこの再録音版である。1990年には、リック・ジェームスとの競演作「ルーシーラップ」がヒットを収め、2000年には、イギリス人音楽プロデューサーのメコン提供のトラックで「ワッツゴインオン」を発表した。1990年後半には、スプライトのCMシリーズに出演を続け、同時に若い女性ラッパーの育成に寄与した。18歳のとき、著作権問題、音楽性、減給処分、妊娠など、様々な食い違いが起こり、ロクサーヌシャンテは異なる方向性を歩むことを決意する。そして25歳で、他のアーティストの楽曲への客演を除き、レコード業界からの引退を決意した。その後、心理学の博士号を修め、クイーンズに戻った。現在では評判の高い実践を行う心理学者として生活しており、メディアなどに露出する場合、ロクサーヌシャンテ博士という呼称を希望している。現在、彼女は結婚しており、1人の息子を授かった。