ワット・タイラーの乱
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ワット・タイラーの乱(Peasants' Revolt, Great Rising)は、1381年にイギリスで起きた農民反乱である。指導者は、牧師のジョン・ボールや屋根屋のワット・タイラー。
反乱の背景には、まず1338年に始まる百年戦争がある。この戦争が長期化するにつれ、イギリスの国家財政は大幅な赤字を抱えた。これに対処すべく、王は農民に対し人頭税などの課税強化を行った。
次に、当時黒死病と呼ばれたペストが大流行したため、労働力不足に悩んだ領主が農民の移動の自由を奪い農奴制を強化していった。
これらの背景から、農民の反乱が急速に拡大し、指導者のワット・タイラーは、リチャード2世に謁見を求めた。1回目の会見では、国王は反乱軍の要求を飲む姿勢を示したため反乱が沈静化を見せたが、タイラーが2回目の会見に現れると、王の傍にいたロンドン市長が斬りつけ殺害してしまった。その後、国王は反撃に転じ、ジョン・ボールなどその他の指導者も相次いで絞首刑にされ、反乱は鎮圧された。
[編集] 関連項目
- ジャックリーの乱 - フランス