ワンダーパヒューム
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性別 | 牝 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1992年3月7日 |
死没 | 1996年1月28日 |
父 | フォティテン |
母 | ラブリースター |
生産 | 信岡牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 山本信行 |
調教師 | 領家政蔵(栗東) |
競走成績 | 9戦2勝 |
獲得賞金 | 169,657,000円 |
ワンダーパヒュームは日本の競走馬で、第55回桜花賞優勝馬である。
新馬戦を勝った後、寒梅賞3着、アネモネステークス2着を経て1995年4月9日桜花賞に出走。この年は阪神・淡路大震災の影響で開催が京都競馬場に変更になっていた。地方笠松所属の競走馬ライデンリーダーが注目を集める中、アネモネステークスの内容が評価され1勝馬ながら7番人気に推された。レースでは初騎乗となった田原成貴の手綱に導かれて、ダンスパートナーらの追撃を振り切り優勝。タイムの1分34秒4は当時の桜花賞レコードであった。
続く優駿牝馬も7番人気の低評価を覆す3着に健闘した。しかしその後は精彩を欠き、エリザベス女王杯、阪神牝馬特別は二桁着順に惨敗する。
翌1996年1月28日、引退を賭けて運命の京都牝馬特別に出走した。くしくもコースは京都競馬場の1600m、栄光をつかんだ桜花賞のコースと同じであった。ところが、パドックの中継を見ていた大川慶次郎が「明らかに調子が良くない」と発言し、その不安は的中してしまう。第3コーナーで、左前足複雑骨折を発症し、そのまま予後不良の措置が取られた。前年の宝塚記念で散ったライスシャワーと同じく、かつて最も輝いた舞台で、ワンダーパヒュームはその生涯を終えた。墓は故郷、浦河町の信岡牧場にある。
彼女の死から3年後、全弟のワンダーファングがスプリングステークスを勝利しクラシック戦線を賑わせたが、彼もまた障害転向後の三木ホースランドパークジャンプステークスで故障を発生し、予後不良となる悲劇に見舞われた。
[編集] 血統表
ワンダーパヒュームの血統 (ノーザンダンサー系/Nasrullah5×5=6.25%) | |||
父
*フォティテン Fotitieng 1984 黒鹿毛 |
Nureyev 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Special | Forli | ||
Thong | |||
Dry Fly 1977 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | |
Milan Mill | |||
Gay Missile | SIr Gaylord | ||
Missy Baba | |||
母
ラブリースター 1979 鹿毛 |
トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
*テスコボーイ | Princely Gift |
Suncourt | |||
*ソシアルバターフライ | Your Host | ||
Wisteria | |||
グッドサファイア 1971 鹿毛 |
*ロムルス | Ribot | |
Arietta | |||
クラツクリユウ | *ヒンドスタン | ||
*フレーミングファイア F-No.10-a |