ヴァージル・カラコダ
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ヴァージル・カラコダ(Virgil Kalakoda、1979年12月24日 - )は、南アフリカ共和国出身のプロボクサー。身長178cm。ニックネームはオデッセイア。ボクシング仕込みの鋭いパンチの連打と、ダメージを恐れず果敢に前に出る気力を持つK-1 WORLD MAXの次世代ファイター。
父親はK-1でお馴染みの名物ボクシングトレーナースティーブ・カラコダ。このことから、「南アフリカの亀田親子」とK-1 WORLD MAXの中継で紹介されることもある。
2005年にK-1に参戦し、アルバート・クラウスと拳を交え、佐藤嘉洋を倒す。2006年にはK-1 WORLD MAXチャンピオンのブアカーオ・ポー.プラムックやアンディ・サワーをあわやという所まで追い詰めるなど、確実な成長を見せている。今後の活躍が期待される選手の一人である。
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[編集] 来歴
2005年5月4日の『K-1 WORLD MAX 2005 開幕戦』にてK-1初参戦。トーナメント一回戦で「ザ・ハリケーン」アルバート・クラウスと対戦するも、クラウスのローキックに動きが止まるなどMAXのルールに対応できずに無念の判定負け。
2005年7月11日の『K-1 WORLD MAX 2005 決勝戦』では佐藤嘉洋と対戦。佐藤の足技に怯まず果敢に攻め判定でMAX初勝利を挙げる。その後2006年2月25日にもシンビテウンから判定勝ちを収めている。
2006年4月5日には『K-1 WORLD MAX 2006 開幕戦』にてブアカーオ・ポー.プラムックと対決。ブアカーオのキックを恐れずに前に出続けフックをヒットさせ、ブアカーオを後一歩の所まで追い込む。結果は判定負けを喫するもブアカーオを相手に好勝負を展開したことからベスト8のシード枠を手にする。
2006年6月30日の『K-1 WORLD MAX 2006 決勝戦』アンディ・サワーと対戦。昨年の王者サワーを1Rに右ストレートで倒し、ダウンを奪う。このまま番狂わせを起こすかと思われたがサワーの磐石な攻めにペースをつかまれ、3R後半にダウンを奪い返される。そのままラッシュを浴びレフェリーストップ。番狂わせを起こすことは出来なかった。
2006年9月4日の『K-1 WORLD MAX 2006 世界王者対抗戦』(元々、レミギウス・モリカビュチスが出場するはずだったが、負傷により代理参戦)では前田宏行に開始早々ダウンを奪われ、その後も調子不足か本来の力をほとんど出すことが出来ずに窮地に追い込まれる。しかし2Rに前田が額をカット。そのままドクターストップとなり試合終了。辛くも勝利を手にする。
2006年9月16日には韓国ソウル開催の『K-1 FIGHTING NETWORK KHAN 2006 IN SEOUL』にてメインでイム・チビンと対戦。前回の試合からわずか12日後の出場ということで、またも調整不足が危惧されたが、持ち前の気力を取り戻し地元ファイターのチビンを終始攻め続け、見事判定勝利を飾る。
2007年4月4日の『K-1 WORLD MAX 2007 世界最終選抜』にて因縁の前田宏行と再戦。ボクサー同士、パンチではほぼ互角の攻防を見せるも、やはりキックボクサーとしてのキャリアの差が勝敗分け判定勝ち。この試合により『K-1 WORLD MAX 2007 開幕戦』のチケットを手に入れた。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 戦績
- K-1 WORLD MAX : 7戦 4勝 3敗
- プロボクシング: 36戦 29勝 6敗 1分
- プロキックボクシング: 6戦 3勝 3敗
[編集] K-1での紹介について
K-1ではもっぱら彼を「ボクシング世界王者に輝く」と紹介している。しかし、彼をボクシング世界王者として宣伝することは誤っていると批判が大きい。理由は、WBA, WBC, IBF, WBOというプロボクシング世界王座として認定されている4大メジャー団体の世界王座を獲得したことはなく、またカラコダが獲得したIBFの「インターコンチネンタル」というタイトルは世界ランキング外の選手が世界ランキングに入るために行われるタイトルであって世界王座ではない、というものである。