佐藤嘉洋
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基本情報 | |
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本名 | 佐藤嘉洋 |
あだ名 | 日本ミドル級最後の大物、静かなる壊し屋、 地獄のヒザ、Knee Kin9 |
階級 | スーパーウェルター級 |
国籍 | 日本国 |
誕生日 | 1981年1月25日 |
出身地 | 日本国、愛知県 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 41 |
勝ち | 34 |
KO勝ち | 15 |
敗け | 7 |
引き分け | |
無効試合 |
佐藤 嘉洋(さとう よしひろ、1981年1月25日 - )は日本のキックボクサー。身長184cm、体重70kg。血液型はAB型。愛知県出身、名古屋市在住。名城大学付属高等学校、名城大学商学部卒業。 元WKA世界ムエタイウェルター級、WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王者。フルキャストスポーツおよび名古屋JKファクトリー所属。
ローキックとパンチ主体のファイトスタイルを持ち、スピードよりもタイミングで相手に大きなダメージを与える戦法を持つ。
ムエタイルールではガオラン・カウイチット、シェイン・チャップマンといった後のK-1 WORLD MAX参戦選手にも勝利し、2つも世界タイトルを獲得し、オランダのスーパーリーグで日本人キックボクサーとして初勝利を飾るという高い実績を誇る。2004年ルンピニースタジアムで当時のルンピニースーパーライト級10位のディーゼルレック・レックルンルアンヨンの脚をローキックで折るといった快挙を成し遂げた。
2005年にはK-1 WORLD MAXにも参戦し、ウィリアム・ディンダーに勝利しデビューを飾る。2戦目でヴァージル・カラコダに敗れはしたが、その後はガオグライ・ゲーンノラシン、マイク・ザンビディスに勝利している。
目次 |
[編集] 人物
- 一見、地味なファイトスタイルだが、相手選手に執拗に浴びせられるローキックと前蹴り、そしてタイミングを合わせたパンチによって試合の流れを掴む非常に効率の良い戦いを展開する。また、相手選手が露骨に表情を歪めるなど、ローキックの正確さと威力は本物である。
- KOに対するこだわりを持たない。同階級の実力者である武田幸三が観客を楽しませる為にKOを信条としているのに対し、佐藤は自分自身の戦い方を貫く事に、プロとしてのこだわりを持っている。本人 曰く、「ホンモノの闘いをすれば、ホンモノのファンが付いてくる」「すごい逆転KO勝ちよりも、一発ももらわない判定勝ちの方が、よっぽど価値が高い」。しかし、2006年9月にアルバート・クラウスに敗北し、自分に自信が持てなくなり、ジムにも行かず、酒浸りの日々を過ごしていた時期もある。
- サッカー選手である小野伸二が佐藤のファンである。
- また、タレントの関根勤も佐藤のファンであり、佐藤の紹介VTR(佐藤の試合映像を分析し、「3秒に1回攻撃する男」と言った)に登場したり、佐藤の試合解説を務めることもある。
- インディーズ系バンドマンの友人が多い。
- 趣味は佐藤本人によると「人からキモがられることをすること」。オフィシャルHPでは両親と共にレモンの被り物をした写真が掲載されている。
- 株式投資を行っている。2006年1月のいわゆるライブドア・ショックによる株価暴落を受け、自分が保有している株の今までの儲けが全部なくなってしまった、とインタビューで語り話題となった。なお、ライブドア株保有というのは誤りである。
[編集] 来歴
- 2001年11月17日 - ミラン・ステヴィッチ(ユーゴスラビア)と王座決定戦を行い4R1:41 KO勝ち。WKA世界ムエタイウェルター級王座奪取成功。
- 2002年10月27日 - K-1出場権獲得試合で清水貴彦に3R判定勝ち。しかし、K-1には出場できなかった。
- 2004年2月28日 - ヤッシーン・ベンファッジ(フランス)の持つWPKC世界スーパーウェルター級王座に挑戦。5R目にダウンを2回奪い大逆転判定勝ち、奪取成功。
- 2004年4月17日 - チャンプアック・チョー・シープラーサート(タイ)とのWPMF世界ウェルター級王座決定戦で4RTKO負け(肘打ちによる流血)し、同王座獲得失敗。
- 2004年7月24日 - 小比類巻貴之をKOで破ったピーター・クルーク(イギリス)に3RKO勝ち。
- 2004年9月25日 - ディーゼルレック・ルンルアンヨン(タイ)に1RKO勝ち。
- 2004年11月27日 - イッティポーン・アカスリボーン(タイ)にイタリアで4RKO勝ち。
- 2005年2月6日 - 山本優弥(日本)に判定勝ち。当初は清水貴彦との対戦予定であったが変更された。佐藤は強い選手との試合がなかなか組まれない当時の状況に不満を感じており、この試合が組まれた段階で全日本キックボクシング連盟退団を決意していた。
- 2005年2月8日 - 全日本キックボクシング連盟および所属していた名古屋JKファクトリーを退団。これによりWPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座、およびWKA世界ムエタイウェルター級王座は剥奪された。後に名古屋JKファクトリー会長の小森次郎と和解し、再び名古屋JKファクトリー所属となった。
- 2005年5月4日 - K-1 WORLD MAXの舞台に初登場。ウィリアム・ディンダーを終始強烈なローキックの連打で圧倒。文句なしの判定勝利を収めた。
- 2005年7月20日 - K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント決勝戦のスーパーファイトに出場。ヴァージル・カラコダと対戦するも、佐藤のキック攻撃に耐えながらパンチで前に出続けたカラコダが僅差の判定勝利。その後、佐藤の試合スタイルがファンやマスコミに酷評された。
- 2005年10月5日 - K-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦でガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。執拗なまでのローキック、膝蹴りの連打で判定勝利。佐藤は歓喜の余り号泣した。
- 2006年2月4日 - K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントで優勝。
- 2006年4月5日 - K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント開幕戦でマイク・ザンビディスを得意のローキックで完封。フルマークの判定勝利を収めた。
- 2006年6月30日 - K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント決勝戦に出場。陰の優勝候補とも言われて臨んだこの試合、準々決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに圧倒的な実力の差を見せつけられて2RKO負け。試合後インタビューでは悔し涙を流し、再起を誓った。
- 2006年9月4日 - K-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦でアルバート・クラウスと対戦。パンチで前に出続けるクラウスを得意のローキック、膝蹴りで迎撃し続けるも、惜しくも判定負け。負けを宣告された佐藤はその場にしゃがみ込み、がっくりとうなだれた。
- 2007年2月5日 - K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントを2連覇。小比類巻,宍戸といった優勝候補が次々と初戦で敗れていくなか、1回戦、2回戦共にテンカオとローキックで相手にペースを握らせず終始圧倒し判定勝ち。決勝戦では昨年と同くTATSUJIと対戦し、飛び膝蹴りとカウンターでの顔面への膝蹴りでKO勝ち。佐藤自身、K-1では初のKO勝ちで優勝に花を添えた。
- 2007年4月4日 - K-1 WORLD MAX 2007~世界最終選抜~でアンディ・サワーと対戦。惜しくも判定負け。
[編集] 戦績
- 41戦 34勝 15KO 7敗
戦目 | 日付 | 勝敗 | 勝敗内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
1 | 1998年12月25日 | 勝 | 判定 | 宮本勲 | 日本 | プロデビュー |
2 | 1999年6月4日 | 勝 | 判定 | 大川真人 | 日本 | |
3 | 1999年8月29日 | 勝 | 1RKO | 加藤丈典 | 日本 | |
4 | 2000年1月29日 | 勝 | 判定 | 森本達也 | 日本 | |
5 | 2000年4月9日 | 勝 | 判定 | 發田隆治 | 日本 | ウェルター級転向初試合 |
6 | 2000年7月7日 | 勝 | 5RKO | 広川康之 | 日本 | 5回戦昇格初試合 |
7 | 2000年9月24日 | 勝 | 4RKO | 中村篤史 | 日本 | 試合後NJKFウェルター級4位にランクイン |
8 | 2000年11月26日 | 負 | 1RKO | タノムサック・デーラッド | タイ | 初国際戦 |
9 | 2001年2月12日 | 勝 | 判定 | チョ-ンアンタイ・ギャッチャ-シン | タイ | |
10 | 2001年3月20日 | 勝 | 5RKO | コンテ-ジ・シッセン | タイ | |
11 | 2001年6月17日 | 勝 | 1RKO | 千葉友浩 | 日本 | 全日本キックボクシング連盟移籍後初試合 |
12 | 2001年8月10日 | 勝 | 3RKO | ノエル・ソアレス | オランダ | 初オランダ人戦 |
13 | 2001年11月17日 | 勝 | 4RKO | ミラン・ステビッチ | ユーゴスラビア | WKA世界ムエタイウェルター級王座決定戦 |
14 | 2002年2月15日 | 勝 | 判定 | 金沢久幸 | 日本 | WPKC世界ライト級王者 |
15 | 2002年4月12日 | 勝 | 判定 | チャルムサック・イングラムジム | タイ | ラジャダムナンスタジアム1位 |
16 | 2002年7月21日 | 勝 | 2RTKO | 江口真吾 | 日本 | |
17 | 2002年10月21日 | 勝 | 判定 | 清水貴彦 | 日本 | K-1出場決定試合 |
18 | 2002年11月23日 | 負 | 判定 | フィクリ・ティアルティー | オランダ | WPKL世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ |
19 | 2003年4月12日 | 勝 | 2RKO | イッティポン・アカスリボーン | タイ | WPKC世界ムエタイウェルター級王者 |
20 | 2003年6月20日 | 勝 | 判定 | クリス・ヴァン・ベンローイ | オランダ | |
21 | 2003年8月17日 | 勝 | 判定 | ガオラン・カウイチット | タイ | WKA世界ムエタイウェルター級王座防衛 |
22 | 2003年12月6日 | 勝 | 2RTKO | シェイン・チャップマン | ニュージーランド | スーパーリーグ日本人初勝利 |
23 | 2004年2月28日 | 勝 | 判定 | ヤッシーン・ベンファッジ | フランス | WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座決定戦 |
24 | 2004年4月17日 | 負 | 4RTKO | チャンプアック・チョーシープラサート | タイ | WPMF世界スーパーウェルター級王座決定戦 |
25 | 2004年7月24日 | 勝 | 3RKO | ピーター・クルーク | イギリス | 世界VS日本 5vs5 大将戦 |
26 | 2004年9月25日 | 勝 | 1RKO | ディーゼルレック・ルンルアンヨン | タイ | 試合後ルンピニースタジアムウェルター級6位初ランクイン |
27 | 2004年11月27日 | 勝 | 4RKO | イッティポーン・アカスリボーン | イタリア | WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座防衛 |
28 | 2005年2月6日 | 勝 | 判定 | 山本優弥 | 日本 | 試合後、全日本キックボクシング連盟を脱退 |
29 | 2005年5月4日 | 勝 | 判定 | ウィリアム・ディンダー | オランダ | K-1 WORLD MAX初参戦 |
30 | 2005年7月20日 | 負 | 判定 | ヴァージル・カラコダ | 南アフリカ | K-1 WORLD MAX 決勝トーナメント スーパーファイト |
31 | 2005年10月5日 | 勝 | 判定 | ガオグライ・ゲーンノラシン | タイ | K-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦 |
32 | 2006年2月4日 | 勝 | 判定 | 新田明臣 | 日本 | K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 一回戦 |
33 | 2006年2月4日 | 勝 | 1R TKO | 上山 龍紀 | 日本 | K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 準決勝 |
34 | 2006年2月4日 | 勝 | 判定 | TATSUJI | 日本 | K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 決勝 |
35 | 2006年4月5日 | 勝 | 判定 | マイク・ザンビディス | ギリシャ | K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント開幕戦 |
36 | 2006年6月30日 | 負 | 2R KO | ブアカーオ・ポー.プラムック | タイ | K-1 WORLD MAX 世界一決定トーナメント |
37 | 2006年9月4日 | 負 | 判定 | アルバート・クラウス | オランダ | K-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦 |
38 | 2007年2月5日 | 勝 | 判定 | 白須康仁 | 日本 | K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 一回戦 |
39 | 2007年2月5日 | 勝 | 判定 | 尾崎圭司 | 日本 | K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 準決勝 |
40 | 2007年2月5日 | 勝 | 1RKO | TATSUJI | 日本 | K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 決勝 |
41 | 2007年4月4日 | 負 | 判定 | アンディ・サワー | オランダ | K-1 WORLD MAX 2007~世界最終選抜~ |
[編集] 獲得タイトル
- WKA世界ムエタイウェルター級王座
- WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座
前王者 ミラン・ステヴィッチ |
WKA世界ムエタイウェルター級王者 2001年11月17日 - 2005年2月8日 |
次王者 N/A |
前王者 ヤッシーン・ベンファッジ |
WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王者 2004年2月28日 - 2005年2月8日 |
次王者 N/A |
カテゴリ: 日本のキックボクサー | 1981年生 | 愛知県出身の人物