ヴィクトル・フリステンコ
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ヴィクトル・フリステンコ(Ви́ктор Бори́сович Христе́нко、 Viktor Borisovich Khristenko、1957年8月28日 - )は、ロシアの政治家。第一副首相、首相代行、産業エネルギー相などを歴任。
1957年8月28日チェリヤビンスク市に生まれる。1979年チェリャビンスク工科大学、ロシア国民経済アカデミーを卒業。1983年には、モスクワ経営大学大学院を修了している。1980年から1982年チェリャビンスク工科大学研究所主任、1983年チェリャビンスク工業大学機械経済講座助教授などを歴任する。1991年チェリャビンスク州行政府副長官。1994年同州第1副長官(経済問題担当)を歴任した。1996年ロシア連邦大統領選挙では、チェリヤビンスクでエリツィン陣営の選挙運動を指揮した。選挙後の1997年3月チェリャビンスク州大統領全権代表に任命され、同年7月ロシア連邦政府の財務次官となる。
1998年4月キリエンコ内閣の副首相。1998年10月に金融危機でキリエンコ内閣が退陣すると、次のエフゲニー・プリマコフ内閣で第一財務次官に転じる。1999年5月セルゲイ・ステパーシン内閣で第1副首相に就任。同年8月のプーチン内閣でも留任した。2000年1月ミハイル・カシヤノフ首相代行(5月に首相)の下で副首相。チェチェン問題委員会議長としてチェチェン問題にも当たる。2001年2月住宅政策委員会議長。プーチン再選後、カシヤノフ首相が解任されると、2004年2月24日から3月5日まで首相代行を務める。カシヤノフの後任となったミハイル・フラトコフ内閣で産業エネルギー相に就任した。
日本との関係では、日露貿易経済協力担当を務め、平成13年(2001年)に来日している。
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