ヴィレム3世 (オランダ王)
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ヴィレム3世(オランダ王) |
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先代: ヴィレム2世 |
オランダ君主 1849年-1890年 |
次代: ヴィルへルミナ |
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先代: ギヨーム2世 |
ルクセンブルク大公 1849年-1890年 |
次代: アドルフ |
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父 | ヴィレム2世 | ||
母 | アンナ・パヴロヴナ |
ヴィレム3世(Willem Alexander Paul Frederik Lodewijk van Oranje-Nassau 1817年2月17日 - 1890年11月23日)はオランダ国王、ルクセンブルク大公(フランス語名でギヨーム3世:Guillaume III)。ヴィレム2世の息子。
父ヴィレム2世の死去で即位し、王としての権威を振るおうとしたが、国民からは嫌われた。家庭ではヴュルテンベルク王ヴィルヘルム1世の娘ゾフィーを妻に迎え、3人の王子を得た。長男ヴィレム=ニコラス王太子は39歳で死去、二男ヴィレム=フレデリク王子は7歳で夭折、三男で長男にかわって王太子となっていたヴィレム=アレクサンダーも33歳で死去と、いずれも若くして亡くした。以後、オランダ王家では現王太子ヴィレム=アレクサンダーが生まれるまで、直系の男子が生まれることはなかった。そしてゾフィーも1877年に死去、彼はその悲しみを抱いていたが、親子ほど歳の離れたエンマ・ファン・ヴァルデック=ピルムントと再婚し、1880年に王女ヴィルへルミナが誕生した。1890年にヴィレム3世が死去した後、オランダ王位はヴィルヘルミナが継承したが、歴代のオランダ国王が兼ねていたルクセンブルク大公はナッサウ・ヴァイルブルク家のアドルフが継承し、オランダとルクセンブルクの同君連合はヴィレム3世を最後に解消された。