アドルフ (ルクセンブルク大公)
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アドルフ(Adolphe,1817年7月24日 - 1905年11月17日)はナッサウ公(在位:1839年 - 1866年)、ルクセンブルク大公(在位:1890年 - 1905年)。ナッサウ公ヴィルヘルムの長男で、父の死によりナッサウ公を継承したが、1866年に普墺戦争でオーストリア側に就いたため、ナッサウ公国はプロイセン王国に併合された。
1890年にオランダ王兼ルクセンブルク大公ウィレム3世が死去すると、ウィレム3世の娘ウィルヘルミナがオランダ王位を継承したが、ルクセンブルクはサリカ法典により女子の継承を認めていなかった。そのため、ウィレム3世と同じくオランダ総督ウィレム4世の玄孫に当たり、オランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家と同じくナッサウ家の支流に属するナッサウ=ヴァイルブルク家のアドルフがルクセンブルク大公に迎えられた。これによりオランダとの同君連合は解消され、以後現在までアドルフの子孫が大公位を継承している。
1851年、アンハルト=デッサウ公家のアーデルハイド=マリーと3度目の結婚を行い、5人の子を得たが、うち3人は早世した。1905年にアドルフは死去し、長子ギヨーム4世が大公位を継承した。
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