ヴェンセスラウ・デ・モラエス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェンセスラウ・デ・モラエス (ジュゼ・ジ・ソウザ・ジ・モライシュ)(Wenceslau José de Sousa de Moraes, 1854年5月30日 - 1929年7月1日)はポルトガルの外交官、文筆家。リスボン生まれ、徳島市で死没。
海軍学校を卒業後、ポルトガル海軍士官として奉職。1889年に初来日。マカオ港務局副司令を経て、外交官となる。1899年に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると在神戸副領事として赴任、のち総領事となり、1913年まで勤める。
神戸在勤中に芸者おヨネ(本名は福本ヨネ)と出会い、ともに暮らすようになる。1912年にヨネが死没すると、13年に職を辞し引退。ヨネの故郷である徳島市に移住した。ヨネの姪である斎藤コハルと暮らすが、コハルにも先立たれる。徳島での生活は必ずしも楽ではなく、スパイの嫌疑をかけられたり、西洋乞食とさげすまれることもあったという。1929年、徳島市で孤独に没した。
著書に『おヨネとコハル』、『日本精神』、『ポルトガルの友へ』、『徳島日記』がある。ポルトガル語で著述したこともあり、生前には日本ではほとんど注目されることがなかったが、死後、日本語への翻訳がなされ、昭和初期の時代の風潮もあり、日本賛美として取り上げられるようになった。
徳島市のモラエスの旧宅は現在モラエス館として保存されている。
モラエスを取り上げた小説に、新田次郎の『孤愁 サウダーデ』(未完)がある。
[編集] 作品年譜と文献案内、参考資料
- 1895年 - "Traços do Extremo Oriente"
- 1897年 - "Dai-Nippon"(「大日本」)
- 1904年 - "Cartas do Japão"(日本通信、1904~1905年;1928年)
- 1905年 - "O culto do chã"
- 1906年 - "Paisagens da China e do Japão"
- 1907年 - "A vida japonesa"(日本の生活)
- 1916年 - "O Bon-Odori em Tokushima"(徳島の盆踊り)
- 1917年 - "Ko-Haru"
- 1919年 - 「午砲 / O tiro do meio dia」
- 1923年 - "Ó-Yoné e Ko-Haru"(おヨネとコハル)
- 1924年 - "Relance da história do Japão"
- 1926年 - "Os serões no Japão"
- 1926年 - "Relance d'alma japonesa"
その他
- 『日本精神』
- 『ポルトガルの友へ』
- 『徳島日記』
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
- カミーロ・ペサーニャ Camilo Pessanha