一柳末栄
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一柳 末栄(ひとつやなぎ すえなが、享保10年(1725年) - 寛政11年5月10日(1799年6月13日))は、播磨小野藩の第5代藩主。父は第4代藩主・一柳末昆。母は一柳直長の娘。正室は稲葉董通の娘、継室は真田信弘の娘。子に末英、娘(織田信浮室)、娘(山口弘道室)、娘(吉川経倫室)、娘(一柳頼欽室)。官位は従五位下、左京亮、土佐守、対馬守。
享保10年(1725年)、播磨小野にて生まれる。元文2年(1737年)、父の死去で後を継ぐ。藩主としては有能で、破綻しかけていた藩財政再建のために倹約や経費節減などを行なって藩財政を再建した。安永8年(1779年)9月16日、病気を理由に子の一柳末英に家督を譲って隠居し、寛政11年(1799年)5月10日に75歳で死去した。墓所:東京都渋谷区広尾の祥雲寺。
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