山口弘道
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山口 弘道(やまぐち ひろみち、1740年(元文5年) - 1783年10月7日(天明3年9月12日))は、常陸牛久藩の第6代藩主。父は第4代藩主・山口弘豊(弘道は六男)。母は水上氏。正室は一柳末栄の娘。側室は鈴木氏ほか。子に山口弘致。官位は従五位下、但馬守、修理亮。
明和5年(1768年)9月7日、第5代藩主・山口弘長の養嗣子となる。そして同年末の弘長の死去により、家督を継いで藩主となった。藩政では文治政治を重んじ、名木の保護を行なっている。天明3年(1783年)9月12日、44歳で病死し、家督は養嗣子の山口弘務が継いだ。
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