三隈川
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三隈川(みくまがわ)は、筑後川の上流、大分県日田市内、主に日田市夜明にある大肥橋より上流の呼び名。玖珠川と大山川が日田盆地において合流してできる河川である。三隈川にはこのほかに花月川や高瀬川、串川等といった支流があり、それらが市内で合流することで日田市の水郷としての景観を作っている。可動堰によって仕切られ、上流としては驚くほどの幅をもっている。そのため、"銭淵"と呼ばれる広い水面には夏になると多くの屋形舟が漕ぎ出し、鵜飼を見物したりして楽しむ。
また、三隈川では日田市に夏の到来を告げる日田川開き観光祭が毎年行われ、二日間にわたって計一万発以上の花火が打ち上げられるなどの行事が行われる。
三隈川は、昔から、林業地域である日田地域において、欠かせない川であった。それは、日田地域で産出した杉や桧を、三隈川を通して下流の久留米や大川などの都市に運んでいたからである。現在は、夜明ダムが建設されたために、このようにして丸太を輸送することはなくなってしまった。かつては、現在の銭淵地区周辺が、上流から運ばれてきた木材の集積地となっていた。そのため、現在も、この地区には、製材所が立地している。
このように、三隈川は、市民の生活に欠かせない、日田市のシンボルとなっているが、一方で、多くの水害を引き起こしてきた川でもあった。近年最大の被害を引き起こしたのは、1953年(昭和28年)の大水害である。このときは、市内全体が湖のように水に浸り、多くの橋が流され、死者や行方不明者も多数に上った。現在、市内の亀山公園入り口のあたりに、この水害時の水位を示す看板がある。
伝説によれば、大昔の日田盆地は、巨大な湖であったとされる。あるとき、突如として、大地が鳴動し、雷光が走ったことによって、湖の西の端が崩れ、湖の水が湖外に流れ出し、あとには大きな川と三つの丘が現れた。この川が現在の三隈川であり、三つの丘とは、三隈川と並ぶ日田市のシンボルとなっている、日隈、月隈、星隈の三つであるといわれる。