上杉政真
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上杉 政真(うえすぎ まさざね、宝徳3年(1451年)-文明5年11月24日(1473年12月22日))は室町時代の武将で扇谷上杉家当主。上杉顕房の子。相模国守護。修理大夫。
享徳4年(1455年)父が分倍河原の戦いにおいて戦死した。太田資清(道真)は政真を当主にしようとしたがまだ幼かったため先代当主で政真の祖父にあたる持朝が当主に復帰している。
応仁元年(1467年)持朝の死により家督を相続し、扇谷上杉家を継いだ。
文明3年(1471年)古河公方足利成氏が堀越公方のいる伊豆国への進撃を図った。政真はこれを撃退し、古河城の逆襲に成功した。成氏は千葉孝胤を頼って落ち延びた。しかし古河公方は反撃に出て文明4年(1472年)に古河城を奪回した。文明5年(1473年)政真は武蔵国五十子の陣にあった上杉氏の居城を古河公方に急襲されて敗れて戦死した。
政真には子がなく、重臣による協議の結果、叔父の定正が家督を継承した。
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