中国正教会
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中国正教会(ちゅうごくせいきょうかい)は、東方正教会の中国と台湾における自治教会のこと。1966年の文化大革命までは2000万人の信徒がいたと見積もられているが、今なお教会組織が保たれているかは定かでない。
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[編集] 前史
ネストリウス派の宣教師が635年に唐に入って伝道を行い、ネストリウス派は景教と呼ばれて勢力を誇った。長安にはそれを記念する大秦景教流行中国碑が建てられた。
[編集] ロシア正教会の布教
ロシア正教会の最初の伝道者が中国入りを果たしたのは、1684年のことであり、下級聖職者のマクシム・レオンチョフを団長とする31人のロシア人が構成員であった。彼らは黒龍江支流のアルバシンで捕虜になり、北京に送られた。1685年、清朝の康熙帝は、ロシア領で捕らえたロシア系住民を清に移住させたのである。マクシム・レオンチョフは北京で最初の正教会の教会を建てた。こうして正教会がシベリア経由で中国に入ったのである。
正教会の最初の伝道団は、1715年に北京の大僧院長ヒラリオンによって結成された。この伝導段の最初の記録は、1727年の露清条約に現れる。伝道団の意図は中国人に福音をもたらすことではなく、最初の伝道者たちを輔弼することであり、後にはロシア大使の役割も果たすようになった。
中国入りしてから最初の150年の間、正教会は多くの信奉者を出すことはなかった。1860年に北京には、ほんの200人の信徒を数えただけであり、そこには清に帰化したロシア人の末裔も含まれていた。だが、1860年をすぎると、伝道団が再浮上するのである。伝道団は1850年代から1860年代にかけて4巻の中国学研究書を上梓した。この分野の研究で二人の修道士が有名になった。チュヴァシ人のイアキンフ神父と、パラディウス大僧院長である。かれらは「非常に有用な」辞書の編纂者であった。
義和団の乱のあいだ伝道団は大きな被害を受け、たとえば書庫を破壊されている。
[編集] 義和団の乱と文化大革命
義和団の乱(1898年~1900年)は中国人クリスチャンに襲撃を加え、正教徒の中国人もこれに巻き込まれて殺されている。最終的にはミトロファン神父を含めて222人の中国人正教徒が犠牲となった(ミトロファン神父は1900年6月に殺害され、中国人致命者のひとりとしてイコンに描かれることになる)。北京の宣教師の書庫も灰燼に帰した。このような暴動にもかかわらず、1902年までに中国正教会の32の教会には、ほぼ6000人の信者がおり、教会は学校や孤児院の経営も行なっていた。
1949年までに、中国正教会は106の教会を数えるまでになった。これらの教会の教区民は、概してロシア人亡命者であったが、中国人信徒はというと、およそ1万人がいたのである。だが文化大革命が中国正教会を潰滅させた(あるいは、ほとんど潰滅させたも同然であった)。
[編集] 現況
中華人民共和国は、いくつかの宗派、たとえばプロテスタント、イスラム、道教、仏教に関しては公式に承認しているものの、東方正教会とローマ・カトリック教会については公認していない(中国政府は、「愛国カトリック教会」「愛国的カトリック連盟」を承認しているが、これはローマ・カトリックの傘下ではない)。中国政府が正教会とカトリックを公認しない理由とは、国内外の政治的圧力を懼れてのものであり、この場合には、ひとえにロシアからの外圧が中国国内に影響を及ぼす可能性が危惧されているのである。このため正教会は、禁教という非合法的な地位に置かれるのである。
北京や(黒龍江省などの)中国東北部では、今なお参列することのできる正教会がいくつか残されており、どうやら中国政府の暗黙の了解を取り付けているらしい。そのほかに正教会の教区は、上海や広東省、香港、台湾に存在する。上海の2つのもと教会は、目下のところ教会として再建のさなかにあり、内部で活動は行われてはいない。一方で、21世紀になるにつれて、中国正教会は香港と台湾では比較的自由に活動しており、たとえば香港には、コンスタンティノポリ総主教庁から一人の首都大司教が遣わされ、ニキタス司教と聖ピョートル教区と聖パヴェル教区が活動を再開させている。台湾では大僧院長ヨナ・ゲオルギオス・ムルトスが布教区を率いている。2005年に中国全土で正教会の司祭はわずか5名しかいなかったが、それでも数多くの中国人が目下ロシアの神学校に学んでおり、帰国しだい司祭として奉職することを望んでいる。
[編集] 中国の少数民族と東方正教会
中国の少数民族は多くがラマ教や大乗仏教を信仰してきたにもかかわらず、旧ソ連と中国のエヴェンキ族は、名目上は正教徒である。エヴェンキ族は、シベリアおよび中国のその他の部族と並んで、名ばかりとはいえ正教会に通っている数少ないアジア系民族の一つであり、彼らはロシア帝国のシベリア植民の際にロシア正教会と接触を持ち、強制的にではなく自発的に正教会に改宗したのであった。黒龍江省周辺に住む約3000人のエヴェンキ族もまた同様である。
正教会は、中国在住のロシア人にも信仰されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- http://www.orthodox.cn/
- http://www.chinese.orthodoxy.ru/main.htm
- http://www.saintjonah.org/services/chinese.htm
- http://www.usbaltic.org/Goble/Goble42.htm
- http://www.orthodoxytoday.org/articles5/MayerChina.shtml
- http://washingtontimes.com/upi-breaking/20041027-035919-6014r.htm
- http://www.cs.ust.hk/faculty/dimitris/metro/orth_china.html
- http://www.orthodox-christian-comment.co.uk/news-orthodoxy_in_china.htm
- http://aggreen.net/autocephaly/russia.html
- http://www.orthodoxinfo.com/ecumenism/bookrev_woerl.aspx
- http://www.stvladimiraami.org/clergyupdate.asp
- http://prologue.orthodox.cn/
- http://philtar.ucsm.ac.uk/encyclopedia/christ/east/occhi.html
- http://www.orthodox-christian-comment.co.uk/news-orthodoxy_in_china.htm
- http://www.cs.ust.hk/faculty/dimitris/metro/hkmetropolis.html
- Recent article on Russians & Russian culture in China
- Orthodoxy in China
- Orthodox Church of Taiwan
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