中川久盛
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中川 久盛(なかがわ ひさもり、文禄3年7月15日(1594年8月30日) - 承応2年3月18日(1653年4月15日))は、豊後国岡藩の第二代藩主。初代藩主・中川秀成の嫡男。母は佐久間盛政の娘(新庄直頼の養女)・虎姫。正室は松平定勝の娘(徳川家康の養女)。子に久清、娘(水野忠職室)。官位は従五位下、内膳正。
1612年(慶長17年)、父が死去したため、後を継いで第二代藩主となった。1651年(慶安4年)に長男の久清に藩主の座を譲るまで39年間岡藩の藩主として在位した。賤ヶ岳の戦いで敵味方となり戦った中川清秀と佐久間玄蕃盛政を両祖父に持つという数奇な運命を背負った人である。
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