久世公堯
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久世 公堯(くぜ きみたか、1928年8月15日 - )は富山県出身の元自治省官僚、元自民党所属の参議院議員(比例代表、3期、18年)。
父親は陸軍少将の久世弥曽吉、弟は演出家で作家の久世光彦。都立第一中学、東京陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て東京大学法学部を卒業。その後自治省(現・総務省)入省、秋田県財政課長、自治省官房審議官、自治大学校校長を経て1983年、参議院選挙比例代表にて出馬、落選したが、1986年に当選、宮沢派(のちの加藤派)に属す。元金融相(金融再生委員長)、税制調査会副会長など。3期18年努めて引退。2000年に第二次森内閣入閣目前、参議院比例選挙において大手マンション会社から党費を肩代わりしてもらい、自民党比例名簿上位に登載して当選していたことが発覚し、政治資金規正法違反疑惑が浮上した。余談として、相手であるジャーナリストから金銭の供与を仄めかされて断り発覚したともいわれた。このことによって参議院比例選挙において非拘束名簿式が導入されるきっかけになった。
大学講師、著書多数。
[編集] 著書
- 「法律と条例」(有斐閣)
- 「地方自治制度」(第一法規)
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