京都御苑
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京都御苑(きょうとぎょえん)は京都市上京区にある国民公園。京都御所の周囲の地区を指す。
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[編集] 概要
明治天皇が明治10年(1877年)に東京へ移ったのち、公家屋敷などが広がっていた京都御所周辺は荒廃した。公家屋敷などを撤去し整備したのが京都御苑である。昭和24年(1949年)に国民公園として広く開放された。現在は環境省が管理している。
今出川通(北側)、烏丸通(西側)、丸太町通(南側)、寺町通(東側)に囲まれた範囲で63ヘクタールの広さである。たくさんの木々が生い茂る公園内には、京都御所、仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所などの宮内庁関連の施設をはじめ、九条邸の拾翠亭などの数少ない公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所のほか、グラウンドやテニスコートもあり、市民の憩いの場になっている。また、2005年4月には京都迎賓館が開館した。
公園内ではのんびりと散歩を楽しむ人やバードウォッチングをする人もいる。御苑の北隣には同志社大学と同志社女子大学(両校とも今出川キャンパス)があるため、ベンチで寝転ぶ学生の姿をよく見かける。また、住民の通り抜けルートにもなっているが、通路部分は舗装されているわけではなく砂が敷き詰められているため自転車では走りづらい。しかし、自転車が長年走りつづけた結果、自転車の走行跡が砂地にできて、現在は走りやすくなっている。この走行跡は御所の細道と呼ばれることもある。ただし、走行跡は自転車一台分の幅しかないため、対向車がきた場合は譲り合うのが暗黙のルールである。
公園内は京都府警や皇宮警察が常に見回りをしていて、京都御所や仙洞御所の塀に近づくとセンサーが反応し、すぐに注意される。
[編集] 蛤御門
上記の蛤御門は、元々開かずの扉であったが、1788年の天明の大火の際に初めて開門された。この為、「炎で貝が開く」ことの比喩で蛤御門と呼ばれるようになった。また、1864年(元治元年)に尊王攘夷派(長州藩)と徳川幕府(会津藩)との戦いである禁門の変(蛤御門の変)が勃発した。現在でもこの戦いの傷跡である銃弾の跡が門に残されている。