伊四〇〇型潜水艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊四〇〇型潜水艦(いよんひゃくがたせんすいかん)は、太平洋戦争中の大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。正式には伊號第四百型潜水艦(いごうだいよんひゃくがたせんすいかん)である。
潜水空母(せんすいくうぼ)とも俗称される。艦内に攻撃機を搭載、さらに(理論上ではあるが)地球を一周可能という長大な航続距離を誇る。パナマ運河を搭載機で攻撃するという作戦が考案されたが、本艦が完成したころには、日本海軍は壊滅的な状態になっており、すでに時期を逸していた。
第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で最大の大きさであり、独創的な構造と3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載していたことで知られる。
目次 |
[編集] 開発の経緯
日本海軍の減懺作戦として「潜水艦による敵艦隊攻撃」というのがあり、アメリカ西海岸を攻撃可能な航続距離の長い艦が思案された。その後、1942年に建造されることになり、その際「アメリカの要所であるパナマ運河を攻撃するために、攻撃機を搭載可能な艦」というのが盛り込まれることになるが、それが誰によって、いつ発案されたかは不明である(有力な説は山本五十六によるというもの。彼はこれでアメリカ東海岸を攻撃できないかと考えていたとも言われる)。
海軍は、本艦以前にも航空機を搭載可能な潜水艦を建造していたが(伊号第五潜水艦、伊号第一二潜水艦)、これらに搭載する機体は、「零式小型水上偵察機」という攻撃機として使うことが不可能な機体のため、新たに水上攻撃機晴嵐が開発された。伊四〇〇型はセイル部と一体化した格納塔内に2機(後に3機)搭載した。
当初、18隻の建造が計画されたが、戦局の移行と共に計画は縮小され、最終的に3隻が完成した。建造計画の縮小を補う為、1隻当たりの搭載機数が3機に増加され、また、建造途中の大型潜水艦を晴嵐2機搭載可能な潜水空母に改造した(伊一三・伊一四)。
[編集] 同型艦
- 伊号第四〇〇潜水艦
- 伊号第四〇一潜水艦
- 伊号第四〇二潜水艦(潜水タンカーに改造)
- 伊号第四〇四潜水艦(連合軍の接収を恐れ、自沈処分)
- 伊号第四〇五潜水艦(工事中止、解体)
[編集] 戦歴
当初パナマ運河の、次に西海岸部の攻撃を検討したが、最終的にウルシー泊地の在泊艦船への攻撃が決定された。作戦参加艦は伊四〇〇・伊四〇一と、潜水空母に改造された伊号第一三潜水艦・伊号第一四潜水艦の計4隻(伊一三・伊一四は、先行偵察用の艦上偵察機彩雲を輸送する任務)。攻撃予定日は8月17日だったというが、直前に電信で作戦中止・停戦命令を受け、内地へ帰投する途中で米軍に発見され、降伏。
- 伊号四〇〇潜水艦
- 連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。ウルシー南方で待機中敗戦を迎える。帰投命令を受領し搭載機、魚雷を投棄。アメリカ駆逐艦ブルーに接収され除籍。終戦後、アメリカ本土に回航され技術調査され、ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分。艦長は日下敏夫中佐。
- 伊号四〇一潜水艦
- 連合艦隊第6艦隊第1潜水隊に所属。カロリン諸島ポナペ島沖で伊四〇〇と合流、ウルシー攻撃に向かう。終戦により日本へ帰投。途中、ヒラム・カスディ中佐の率いるアメリカ軍部隊が接収。乗艦して指揮を執っていた第1潜水戦隊司令有泉龍之介少将は艦内で自決した。アメリカ本土に回航され技術調査され、ハワイ近海で実艦標的として撃沈処分。艦長は南部伸清中佐。2005年3月20日にハワイ大学の研究チームにより海底で発見された。
- 伊号四〇二潜水艦
[編集] データ
- 全長: 122 m
- 全幅: 12.0 m
- 吃水: 7.02 m
- 乗員: 157 名
- 排水量: 水上: 2,880t | 水中: 4,304t
- 主機関: 艦本式22号10型ディーゼル機関×4基、2軸推進 (3000馬力相当のエンジン4基)
- 出力: 水上: 7,700 hp | 水中: 2,400 hp
- 燃料搭載量: 重油 1,750t
- 最大速力: 水上: 18.7 kt | 水中: 6.5 kt
- 航続距離: 水上: 14 kt で 37,500 海里 | 水中: 3ktで60海里
- 安全潜行深度: 100.0 m
- 武装:
[編集] 潜水空母の実用性
潜水空母は航空戦艦と並んで架空戦記では定番の秘密兵器であり、軍艦好きにとってはロマンを感じさせるコンセプトの軍艦であるが、その実用性は殆ど無いと言っても過言ではない。
潜水艦の一番の武器は隠密性である。水中に潜って存在が分からない事に最大の意義がある。第二次世界大戦中この特性を生かしたゲリラ戦的な通商破壊こそが、潜水艦の最も活躍した戦術であった事はドイツのUボートの例をみれば明らかである。この為には発見されにくく小回りが利き、量産に適した中型潜水艦を多く揃える事が一番であるが、伊四〇〇型は艦載機を運用する為に大型で構造の複雑な艦であり、発見されやすく量産に不向きなばかりか、艦載機発艦の為には最大の武器である隠密性を放棄して浮上しなければならない。しかも艦載機回収の為に周辺海域に留まり続けなければならない。レーダーの性能が向上した大戦後半の時期に、このような戦術をとれば、たちまち敵に発見されて撃沈されてしまったであろう。
もっとも、パナマやウルシーへの攻撃計画では特攻が前提とされており(晴嵐に大型爆弾を搭載する場合はフロートは装着できず、仮に帰投しても不時着水して乗員のみを回収するしかない)、これならば発進のみで収容の必要は無いが、通常の戦術の常識から大きく逸脱している事は明白である。
日本海軍は潜水艦を艦隊決戦に用いるために多くの航空機搭載潜水艦を整備したが、殆ど有効活用されておらず、[1]そのカタログスペックの割には貧弱な戦果しか挙げられなかった。これは潜水艦の用法を誤り、艦隊決戦という一戦場での戦術的な勝利で戦争に勝てるとの、近代戦に対する誤った認識から抜け出せなかった首脳部の責任が大きいが、潜水空母も膨大な手間と資材を使用したにも拘らず戦果を挙げることが出来なかったのは当然と言わざるを得ない。
ただし、戦果が挙がらなかったのは実戦投入が遅れた(上記のとおり最初の"実戦"は予定日が終戦日以降の作戦決行となっている)という事情があり、性能や設計思想の起因しないとも言える。事実、伊二五潜水艦が搭載機によりアメリカ本土爆撃を行っているなど、隠密行動を行える潜水艦を敵地奥深くまで侵入させての航空攻撃は一定の成果を示している。
潜水空母にしても航空戦艦にしても、あるいは潜水艦に大口径砲を搭載したスルクフのような艦にしても、話としては面白く想像力をかき立てるものではある。しかし異なる兵器を繋ぎ合せたかの様なこれらの兵器は、結局のところ実用性や信頼性に欠けるアイデア倒れの兵器であると言える。
本型も、隠密行動と遠距離攻撃手段の複合という構想こそ現在の戦略原潜に通じるものであるが、当時の日本の技術力から考えれば、実験艦としてならともかく実用艦としては無理があり、何より完成が遅すぎた。また、当初計画では18隻という建造数が3隻と減らされたことも、本艦の評価に疑問符をつけられる原因と思われる。搭載機が3機という少数では決定的に打撃力不足であり、また現代の戦略原潜に見られるように(ただし核を搭載し一隻でもそれ自体が決定的打撃力として存在する原潜といささか事情は変わるが)、この手の兵器は数を投入して初めて効果を発揮するからである。
なお、パナマ運河などに対する攻撃が実施されたら、という想定で書かれたフィクションはいくつかある。 檜山良昭/著「パナマ運河を破壊せよ~海底空母・伊四〇〇~」は比較的よくできた作品だが、それでもかなり日本側に甘い設定となっている(往路で敵に発見された伊四〇〇が無事に逃走できた、晴嵐が故障せずに完全作動している、など)。ただし、帰投途中に4隻の潜水艦は全て撃沈されている。
戦後、アメリカが潜水艦からミサイルを発射する技術を開発するにあたり、伊四〇〇型の技術を参考にしたとされる。 [要出典]
- ^ 日本の航空機搭載潜水艦の目的は索敵範囲の増大にあり、また、潜水艦による航空機偵察行動は意外にも成功率が高かったとされ、一概に有効活用されなかったとは言えない。但し、その目的、つまり潜水艦に広い索敵範囲を持たせるという発想は艦隊決戦に因るものであり、その点で言えば間違いだったと言えるかもしれない。しかし、列強各国も一度は潜水艦に偵察機を搭載しようと画策していた事に充分留意すべきである。