伊東長トシ
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伊東 長トシ(いとう ながとし、天保15年4月13日(1844年5月29日) - 明治33年(1900年)12月21日)は、備中国岡田藩の第10代(最後)の藩主。父は第8代藩主・伊東長寛の十五男・伊東長生(長トシは次男)。母は乾氏。正室は藤原長順の娘。官位は従五位下。播磨守。「トシ」は「卆+百+千」という漢字(「壽」の異体字の一つ)。
1844年4月13日生まれ。1860年、先代藩主・伊東長裕の死去により、その養嗣子となって後を継いだ。1868年1月、戊辰戦争では岡山藩と共に新政府軍に与して、幕府軍に与した備中松山藩の討伐を担当する。1869年6月、版籍奉還により岡田藩知事となる。1871年7月、廃藩置県により免官となり、東京に移った。1900年12月21日、57歳で死去。
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