伊達宗敦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊達 宗敦(だて むねあつ、1852年6月20日(嘉永5年5月3日)-1907年(明治40年)1月6日)は仙台藩知事(在任中の伊達氏の当主は30世14代伊達宗基のまま)で、13代仙台藩主・伊達慶邦の嫡子(のち廃嫡)、男爵。伊予国宇和島藩主・伊達宗城の次男(五男とも)。正室は広幡基豊の娘、継室は松根三楽の娘。
[編集] 概要
第13代藩主・慶邦の養子となり、本来なら慶邦の後を継いで第14代藩主を継ぐはずであったが、慶応4年(1868年)に養父・慶邦が奥羽列藩同盟の盟主となったために新政府軍から謹慎を申し付けられたとき、宗敦も廃嫡されてしまったため、跡を継ぐことができず、14代藩主には慶邦の四男・宗基が継いだのである。しかし宗基は幼少であったため、明治2年(1869年)に版籍奉還された後、宗基は藩知事になったものの幼少のために政務をとることができず、明治3年(1870年)に新政府は宗敦の謹慎を解いて、宗基の代わりに宗敦を新たな藩知事として任命した。官位は正四位。
仙台藩知事として実質的な政務を行ったが、伊達氏当主は宗基のままであり、伊達氏当主歴代には数えない。
明治4年(1871年)の廃藩置県後、イギリスに遊学した。明治17年(1884年)に新たに家を興し、明治21年(1888年)には男爵となった。明治23年(1890年)以降は貴族院議員。明治40年(1907年)に56歳で死去。伊達男爵家は、長男・伊達宗経が継承している。
[編集] 系譜
- 実父:伊達宗城
- 養父:伊達慶邦
- 正室:広幡基豊の娘
- 継室:萬喜子(松根三楽長女)
- 伊達宗経
- 伊達良春
- 幸子(大木遠吉の妻)
- 伊達貞一郎
- 伊達隆知
- 伊達栄利
- 正子(井上文蔵の妻)
- 伊達順之助(中国名:張宗援)
|
|