佐々長穐
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佐々長穐(さっさ ながあき 天文6年(1537年)? - 慶長20年(1615年)?)は戦国時代の武将で織田信長の家臣。伝えられる系図によれば佐々成政の弟に当たる。権左衛門尉。
当初、武将としての活躍は少なく、永禄年間より越後の上杉氏との外交折衝に活躍する。天正3年(1575年)越前一向一揆討伐に参戦、そのまま簗田広正の与力として加賀檜屋城代となり一揆平定に苦心するが進展せず、広正は解任され、長穐も帰還した。天正6年(1578年)上杉謙信が急死すると、神保長住の援軍として越中に送られ、上杉軍と戦う。その後越中は兄の成政が一職支配権を得るが、この頃の長穐の動向は不明。
本能寺の変後、織田信雄に仕えて尾張青山郷で三百五十貫文を領す。後に豊臣秀吉に仕えて馬廻りとなり、朝鮮出兵時は肥前名護屋城に在番。慶長20年(1615年)大坂の陣で討死を遂げたという。