小野伸二
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小野伸二(おの しんじ、1979年9月27日-)は、静岡県沼津市出身で浦和レッドダイヤモンズ所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。
2001年7月から2006年1月までオランダの1部リーグ(エールディヴィジ)チームフェイエノールトに所属。2006年1月より古巣の浦和レッズに復帰している。
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[編集] 経歴
小学生時代から「天才」と呼ばれ、1993年、13歳でU-16(16歳以下)日本代表に初選出されて以後、常に各年代の代表チームの中心選手として活躍した。1994年、第6回U-16アジアユース選手権で優勝し、1995年にはFIFA U-17世界選手権大会に出場している。
清水商業高校でも主力となった。全国高等学校サッカー選手権大会だけは縁がなく、一度も本大会出場を果たせなかったが、1997年、高校3年生の時には全日本ユース選手権優勝、インターハイ準優勝、他校の選手と合同チームを組んだ国民体育大会では静岡県選抜・少年男子の部の2年連続優勝などに貢献した。この年の暮れに、卒業後にJリーグ浦和レッズ入団することを発表した。背番号は28。
1998年にはアジアユース選手権で準優勝し、MVPを獲得。韓国とのワールドカップ共催記念試合で岡田武史監督に抜擢され、18歳でA代表デビュー。フランスワールドカップの日本代表にも選出され、第3戦のジャマイカ戦に15分間の出場を果たした。浦和レッズにおいては、デビュー第2戦の横浜フリューゲルス戦で当時の日本代表正GK楢崎正剛を破るプロ入り初ゴール。このシーズンは9得点をあげる活躍で、新人王とベストイレブンを受賞した。
1999年、浦和レッズでの背番号を8に変更。FIFAワールドユース(ナイジェリア大会)では主将として準優勝(決勝戦は累積警告で出場停止)に大きく貢献し、ベストイレブンに選ばれた。しかし、シドニーオリンピックのアジア地区予選で左ヒザに重傷を負い、リーグ戦の半分以上を欠場。浦和レッズのJ2降格を食い止められなかった。
2000年、コンディション不良が続きシドニーオリンピックの本大会メンバーには選出されなかったが、アジアカップ(レバノン大会)の日本代表に選出され優勝に貢献。浦和レッズでは主将としてチームを牽引、J2最終戦でJ1昇格を遂げた。
2001年、日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップで準優勝し、完全復活をアピールした。J1第1ステージ終了後にオランダの上位クラブチーム、フェイエノールトへの海外移籍を果たした。背番号は14。
2002年5月、フェイエノールトはUEFAカップ優勝を果たし、プロ入り後初となるクラブでのビッグタイトル獲得となった。同年6月の日韓ワールドカップでは虫垂炎を患いながらも全4試合に出場し、日本代表として史上初のベスト16進出を果たした。
2003年にはアジアサッカー連盟(AFC)から前年度の年間最優秀選手に選出された。ただ、オランダでの3シーズン目は負傷欠場が多く、チームとしても期待された成績を挙げる事はできなかった。
2004年、アテネオリンピックにオーバーエイジとして念願の出場を果たした。1次リーグ3試合でPKによる2得点をあげたが、チームは決勝トーナメント進出を逃した。
2005年、故障の多さやチームの財政苦から事実上の放出宣言をされ、自身発表前にチームHPに退団決定報告が掲載される。
2006年1月13日に浦和レッズへの復帰が決定し、1月26日に正式契約を結んだ。背番号は18。
2006年6月、ドイツワールドカップ日本代表のメンバーとしてドイツへ。ワールドカップは控えでのスタートとなったが、グループリーグ初戦、オーストラリア戦の後半33分、1対0で日本が1点リードしている状況で交代出場。中盤でのボール支配と酷暑によるスタミナ切れを起こしつつあったチームへのカンフル剤としての役割を期待されるも、チームはその後の数分間で3失点し、逆転負けを喫する。小野の投入が今大会の分岐点になってしまったと評する専門家も多い。その後、プレーに精彩を欠く時期が続く。
2006年12月、故障での不安定なプレーは監督の信頼を失い、満足に出場機会を与えられない日々が続いたが、天皇杯準々決勝のジュビロ磐田戦に痛みを押して途中出場。一時は逆転となる2ゴールを決め、続く準決勝の鹿島アントラーズ戦では先発出場して技ありの先制ゴールを決め、決勝点もアシスト。浦和レッズ天皇杯優勝に大きく貢献した。
[編集] 年代別所属チーム
- 1986年 - 1991年 今沢サッカースポーツ少年団
- 1992年 - 1994年 沼津市立今沢中学校
- 1995年 - 1997年 清水商業高校
- 1998年 - 2001年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2001年 - 2005年 フェイエノールト
- 2006年 - 現 在 浦和レッドダイヤモンズ
[編集] プレイスタイル
同じサッカー選手からも天才と賞賛される選手であり、「ボールと会話できる選手」と言われるテクニックを持っている。 オランダに渡る以前はトップ下の攻撃的ポジションで得点によく絡んだ。オランダ・フェイエノールトではチーム事情もありボランチとして起用され始め、その類稀な視野の広さを生かして「ベルベット・パス」とも称される正確なパスの供給し、ボランチとしての才能を開花。このレジスタ的ポジションの経験は、彼のパスセンスに更なる磨きを掛けた。
基本的にはパスの出し手であるが、細かなボールタッチからみせる巧みなドリブルやワンタッチで相手をかわすなどのプレーを簡単にこなす。ボールをキープしてのプレー、ダイレクトプレー共に素晴らしいものを持っている。特に高原直泰とは小学校からの親友であり、ゴール前などの絶妙なコンビプレーから、静岡ホットラインと呼ばれることもある。 また、ペナルティエリアの外からゴール隅をふわりと狙う独特のミドルシュートはフェイエノールト所属当時月間ベストゴールにも選ばれており、高い精度とキーパーのタイミングを外す技術を兼備えている。
彼のパスセンスと卓越したテクニックはピッチ上に劇的な変化をもたらし得るが、当時のフェイエノールト監督・ヘルト・ファン・マルワイクに「サーカスではなくサッカーをしろ」と叱責されたように、自身のテクニックに頼り過ぎる嫌いがある。 ボールキープ時に厳しいマークに遭い大怪我をしたシドニー五輪予選での経験など、長年怪我を繰り返したため、激しいコンタクトプレーを避けているようにも見受けられる。 試合開始直後や途中出場であっても積極的な守備や相手の攻撃の芽を摘み取るような献身的な動きが少ないため、持久力に疑問を呈する向きもある。ただし、ドイツW杯直前合宿中の心肺能力テストでは三都主らに次ぐ高い数値を残しており、プレースタイルとして動き回るタイプではないだけだ、という意見もある。
[編集] 戦歴
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | NO. | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | CL | UEFA | 計 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1部 | 2部 | ||||||||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1998 | 浦和 | J1 | 28 | 27 | 9 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 29 | 9 | |||
1999 | 浦和 | J1 | 8 | 14 | 2 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 16 | 2 | |||
2000 | 浦和 | J2 | 8 | - | 24 | 7 | 0 | 0 | 2 | 1 | - | - | 26 | 8 | |||
2001 | 浦和 | J1 | 8 | 14 | 2 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 16 | 2 | |||
01-02 | フェイエノールト | エールディビジ | 14 | 30 | 3 | - | - | - | 3 | 0 | 8 | 2 | 41 | 5 | |||
02-03 | フェイエノールト | エールディビジ | 14 | 29 | 7 | - | - | - | 7 | 2 | - | 36 | 9 | ||||
03-04 | フェイエノールト | エールディビジ | 14 | 24 | 2 | - | - | - | - | 4 | 0 | 28 | 2 | ||||
04-05 | フェイエノールト | エールディビジ | 8 | 25 | 7 | - | - | - | - | 6 | 1 | 31 | 8 | ||||
05-06 | フェイエノールト | エールディビジ | 8 | 5 | 0 | - | - | - | - | 1 | 0 | 6 | |||||
2006 | 浦和 | J1 | 18 | 28 | 5 | - | 1 | 1 | 5 | 3 | - | - | 34 | 9 | |||
2007 | 浦和 | J1 | 8 | - | - | - | |||||||||||
J通算 | 83 | 18 | 24 | 7 | 1 | 1 | 13 | 4 | - | - | 111 | 30 | |||||
エールディビジ通算 | 113 | 19 | - | - | - | 10 | 2 | 19 | 3 | 142 | 24 |
[編集] 個人タイトル
- 1998年 - Jリーグ新人王、Jリーグベストイレブン
- 1998年 - アジアユース選手権最優秀選手
- 2002年 - AFC年間最優秀選手
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 1995年 U-17世界選手権(グループリーグ敗退)
- 1998年 ワールドカップ(グループリーグ敗退)
- 1998年 アジアユース選手権(準優勝)
- 1999年 ワールドユース選手権(準優勝)
- 2000年 シドニーオリンピック予選
- 2000年 アジアカップ(優勝)
- 2001年 コンフェデレーションズカップ(準優勝)
- 2004年 アテネオリンピック(グループリーグ敗退)
- 2002年 ワールドカップ(ベスト16)
- 2006年 ワールドカップ(グループリーグ敗退)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 55試合 6得点(1998-2006)
年度 | 試合 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|---|
出場 | 得点 | ||
1998年 | (11) | 3 | 0 |
1999年 | (7) | 0 | 0 |
2000年 | (18) | 12 | 1 |
2001年 | (13) | 9 | 1 |
2002年 | (13) | 8 | 1 |
2003年 | (16) | 5 | 0 |
2004年 | (22) | 7 | 2 |
2005年 | (20) | 2 | 0 |
2006年 | (19) | 9 | 1 |
通算 | 55 | 6 |
[編集] エピソード
- 「伸二」の名づけの理由は、小野の母が牧伸二の大ファンであったからといわれている。
- 2001年7月19日、千恵子夫人(旧姓:野田)と入籍。2004年12月19日、長女誕生。
- 語学も堪能で英語・オランダ語・スペイン語ができる。
- 10人兄弟である。
- 小学校時代は貧乏でサッカー少年団にも入れなかったが、一人でサッカーをしてるのを見た少年団の監督が「お金はいらないから是非入ってくれ」と言われたことがある。
- 進学予定だった今沢中学校にはサッカー部がなかったため、それを聞きつけたサッカー協会が今沢中学校にサッカー部をつくらせた。
- 日本代表がオシム監督になってからは、選出から漏れている。
[編集] CM出演
- ナイキ
- コカ・コーラ「アクエリアス」
- 『ピットクルー・ウォーターロード篇』 (1999年)
- 『小野伸二とサッカー少年篇』 (2001年)
- 『一生、スポーツ篇』 (2001年)
- コカ・コーラ「GEORGIA ヨーロピアンブレンド」 『世界は甘くない篇』 (2002年)
- 日本赤十字社
- 「平成11年献血キャンペーン」 『集まれいのちのサポーター篇』 (1999年)
- 「平成12年献血キャンペーン」 『献血ははたちの誓い篇』 (2000年)
- 「平成13年献血キャンペーン」 『献血にアクセスしよう篇』 (2001年)
- スカイパーフェクTV!「決めてくれー!スカパー!キャンペーン」 (2002年) - 中田英寿、稲本潤一との共演
- So-net (2002年)
- 文部科学省「薬物乱用防止キャンペーン」 (2002年)
- トヨタ自動車「カローラフィールダー」 (2002年-2005年)
- 『買い物篇』
- 『海篇』
- 『明日へ篇』
- 『草原の輝き篇』
- 『応援篇』
- セガ「Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!3」 (2003年)
- 『スタジアム篇』
- 『移籍~言うね~篇』
- 『移籍~生意気~篇』
- 日立マクセル「DVDディスク」 (2004年)
- 『ずっとずっと。マクセルDVD 小野伸二・原点篇』
- 『ずっとずっと。マクセルDVD 小野伸二・未来篇』
- KDDI「光プラス」 (2004年)
- ハウス食品「バーモントカレー」
- Z会 (2006年)
[編集] 関連サイト
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浦和レッドダイヤモンズ - 2007 |
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1 山岸範宏 | 2 坪井慶介 | 3 細貝萌 | 4 闘莉王 | 5 ネネ | 6 山田暢久 | 7 酒井友之 | 8 小野伸二 | 9 永井雄一郎 | 10 ポンテ | 11 田中達也 | 12 堤俊輔 | 13 鈴木啓太 | 14 平川忠亮 | 15 エスクデロ | 16 相馬崇人 | 17 長谷部誠 | 18 小池純輝 | 19 内舘秀樹 | 20 堀之内聖 | 21 ワシントン | 22 阿部勇樹 | 23 都築龍太 | 24 坂本和哉 | 25 赤星貴文 | 26 中村祐也 | 27 西沢代志也 | 28 加藤順大 | 29 大谷幸輝 | 30 岡野雅行 | 未定 原口元気 | |
監督 オジェック | コーチ エンゲルス | コーチ 池田太 | コーチ 大槻毅 | コーチ 広瀬治 | GKコーチ 土田尚史 | |
クラブ | |
日本代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ||
---|---|---|
1 楢崎正剛 | 2 茂庭照幸 | 3 駒野友一 | 4 遠藤保仁 | 5 宮本恒靖 | 6 中田浩二 | 7 中田英寿 | 8 小笠原満男 | 9 高原直泰 | 10 中村俊輔 | 11 巻誠一郎 | 12 土肥洋一 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 大黒将志 | 17 稲本潤一 | 18 小野伸二 | 19 坪井慶介 | 20 玉田圭司 | 21 加地亮 | 22 中澤佑二 | 23 川口能活 | 監督 ジーコ |
日本代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ||
---|---|---|
1 川口能活 | 2 秋田豊 | 3 松田直樹 | 4 森岡隆三 | 5 稲本潤一 | 6 服部年宏 | 7 中田英寿 | 8 森島寛晃 | 9 西澤明訓 | 10 中山雅史 | 11 鈴木隆行 | 12 楢崎正剛 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 中田浩二 | 17 宮本恒靖 | 18 小野伸二 | 19 小笠原満男 | 20 明神智和 | 21 戸田和幸 | 22 市川大祐 | 23 曽ヶ端準 | 監督 トルシエ |
日本代表 - 1998 FIFAワールドカップ | ||
---|---|---|
1 小島伸幸 | 2 名良橋晃 | 3 相馬直樹 | 4 井原正巳 | 5 小村徳男 | 6 山口素弘 | 7 伊東輝悦 | 8 中田英寿 | 9 中山雅史 | 10 名波浩 | 11 小野伸二 | 12 呂比須ワグナー | 13 服部年宏 | 14 岡野雅行 | 15 森島寛晃 | 16 斉藤俊秀 | 17 秋田豊 | 18 城彰二 | 19 中西永輔 | 20 川口能活 | 21 楢崎正剛 | 22 平野孝 | 監督 岡田武史 |
カテゴリ: 日本のサッカー選手 | サッカー日本代表選手 | オリンピックサッカー日本代表選手 | 浦和レッドダイヤモンズの選手 | フェイエノールトの選手 | 静岡県出身の人物 | 1979年生