佐野実
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佐野 実(さの みのる、1951年4月4日 - )は神奈川県横浜市戸塚区出身のラーメン屋「支那そばや」店主。有限会社「サノフーズ」代表取締役。
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[編集] 概要
私立藤沢商業高等学校(現・藤沢翔陵高等学校)では野球部に所属しプロ野球投手を目指したが、野球部には後に読売ジャイアンツなどで活躍した投手の小俣進がいたために出番に恵まれず、プロ野球投手の夢を諦めた。
高校卒業後、洋食レストランでコックの修行を始め、27歳で店長になる。35歳の時に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開業(鵠沼本店:2004年に閉店)。2000年には新横浜ラーメン博物館に出店し、現在も唯一の佐野直営店として営業している。
佐野がラーメンの世界で唯一尊敬している人が、東京池袋にあった有名ラーメン店「大勝軒(東池袋大勝軒)」店主の山岸一雄である。佐野は支那そばやを開業した頃に13歳年下の女性と結婚したが数年後に離婚、現在独身である。前述の小俣は、高校の同級生が経営するラーメン屋ということもあり、ラーメンを食べるために時々支那そばやを訪れるという。
[編集] こだわり
「支那そばや」でラーメンを食べる時にはマナーがあり、「私語禁止」、「香りの強い香水禁止」、「店内禁煙」を守らなければならない。ちなみに、佐野自身は大のタバコ好きである。ラーメンの食材選びに厳しく、部下などをきつく叱ったりするため、「ラーメンの鬼」と称されることもある。
佐野は麺に強烈なこだわりを持っており、麺は当然、自家製で、新たな麺の開発にも積極的である。麺にこだわっているからこそ、佐野が麺に対して納得がいかない時は、店を臨時休業にする。いい加減なものを出して、それが「佐野のラーメン」と客に思われることを嫌うためである。
佐野が開発した「絹越和伊麺」(きぬこしわいめん)は、原料として、パスタで使われるデュラム・セモリナ粉と国産小麦をブレンドしたものを用いている。デュラム・セモリナ粉は、麺にコシの強さを出すためのもので、ラーメンの麺作りには通常使われない。また、黒小麦をブレンドした小麦粉で作った麺も開発している。
出来立ての麺は木箱に入れ、入れてから2~4分間、少し蓋を開けておき、ある程度の温度まで下げる。その後、高湿冷蔵庫でひと晩保管して熟成させる。高湿冷蔵庫は蕎麦で使われるが、ラーメン屋での高湿冷蔵庫の使用について佐野自身、「俺が初めてだと思う」と話している。
[編集] バラエティ番組
佐野はかつてTBSで放送されていたバラエティー番組「ガチンコ!」の企画「ガチンコラーメン道」で、ラーメン職人を育てるための指導者に抜擢され、一躍有名になった。「ラーメンの鬼」と佐野が呼ばれるのはこの番組の影響も大きい(しかしその「ガチンコ!」という番組は、演出の過剰さから「一部やらせではないか?」という疑惑もあった)。
上記のバラエティ番組の「ガチンコ!」では、笑顔を全く出さないことで有名だったが、ラーメンのこと以外で怒ることは少ないようで、他のバラエティ番組に出演する際にはひょうきんな一面を見せている。またラーメン関連の番組に出演する際も、「キレる」ということをギャグ的要素として使っていることもある。
世界ウルルン滞在記にも出演経験があり、ある中国人ラーメン店主が自分のラーメンを日本にも出店したい内容だった。そのラーメンは「水晶麺」といわれ、非常に細い麺にあっさり鶏ガラスープに羊のチャーシューというものだった。その中国人店主は、自信満々だったが、佐野がそのラーメンを試食すると「麺はうまいし、スープもマッチしているが、このチャーシューが臭いのは日本では受け入れられない。」と日本出店を諦めるように諭した。しかし、その中国人店主は「そんなことはない。絶対に売れるし成功する。」と一歩もゆずらないシーンが放送された。