藤沢翔陵高等学校
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藤沢翔陵高等学校(ふじさわしょうりょうこうとうがっこう)は、全日制商業科および普通科を持つ男子のみの私立高等学校。略称は「翔陵」「藤翔(とうしょう)」。所在地は神奈川県藤沢市善行7-1-3。
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[編集] 概要
設置者は藤嶺学園(時宗総本山清浄光寺:通称遊行寺が母体)であり、藤嶺学園藤沢中学校・高等学校や女子校より共学校になった鵠沼高等学校(旧鵠沼女子高等学校:旧平塚家政女学校)とは兄弟校。校長は浅見洋一(東京教育大学=現筑波大学卒・日本史担当)、教頭は辻本幸一(英語担当)。なお、現在も両者は教壇に立ち続けている。
2006年に創立75周年を迎え、商業高校であるためか商業科は学校生活・学問に関して情熱のある教員が多く、外部での講座を持つ教員も存在。商業教育において重要なパソコンも充実しており、休み時間・放課後には誰でも気軽に使える状態にある。各検定直前になると学校行事として講習を行う。また、OBが教員になることもある。
[編集] 沿革
- 1931年(昭和6年) 藤沢商業学校として清浄光寺境内に創立。
- 1943年(昭和18年) 廃校(藤沢工業学校 に改組)。
- 1945年(昭和20年) 再設置、学制改革により藤沢商業高等学校(略称:藤商、とうしょう)となる。
- 1947年(昭和22年) 現在地に移転する。
- 1992年(平成4年) 特別進学コースを設置。
- 1998年(平成10年) 普通科の生徒数のほうが多くなったことから、現校名の藤沢翔陵高等学校に改称。
日本テレビ系の「おれは男だ!」(森田健作、笠智衆出演)その他映画のセットとなったこともある。
昭和30年代に校舎を焼失する火事に見舞われ、現在の県の競技場となっている所有地を売却することになった。不振期には当校を廃止し、藤嶺学園による短期大学を設立する計画があった。学長には福本和夫が招聘される予定であった。
昭和50年代の一般推薦入学先は東海大学、桜美林大学、山梨学院大学、種智院大学、花園大学などであった。また、制服が小田急の車掌のものと似ておりよく間違われた。授業開始のサイレンは甲子園出場を記念して始まったものだが、太平洋戦争の空襲警報などを連想させたりしたため、近所から不評で取り止めになった。
[編集] 交通
[編集] 主な卒業生
- 岩田孝八:故人。戦後、平塚市にてスーパー長崎屋創業。全国チェーンのスーパーに育てたが、息子の代に経営が破綻。なお、長崎屋はキョーデングループのもとで経営再建に取り組み、計画を前倒しして再生を果たした。
- 佐野実:ラーメン店店主。通称「ラーメンの鬼」。小俣進と同級。
1980年3年B組の岸正明:TBSのGメン75で主役級を演じている。
[編集] プロ野球選手
- 田代富雄:(横浜大洋ホエールズ)、2003年より横浜一軍打撃コーチ。1997年の横浜二軍(湘南シーレックス)打撃コーチ就任前はラーメン店を経営していたが、就任後はコーチに専念している。文化祭で講演会を行ったこともある。2007年より横浜二軍(湘南シーレックス)監督となることになった。
彼を筆頭に何人かのプロ野球選手を輩出している。例を挙げると:
- 大沢紀三男:(中日ドラゴンズ)。「親分」大沢啓二の兄、名古屋軍で活躍し引退後は国学院大学野球部監督や同大の文学部教授を務めた大沢清(伸夫)の弟
- 小俣進:(社会人野球を経て広島東洋カープに入団、以後読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズで活躍)引退後はミスターこと長嶋茂雄氏の球団秘書的なことをしていた。ちなみに夫人は元フライトアテンダント(スチュワーデス)。
- 松田光保:(ロッテオリオンズ)
- 土手本(南海ホークス) 弟勝昭(1980年3月卒)も野球部であった。同じクラスの赤木法雄は東都大学リーグで亜細亜大学のエースとして活躍した。
- 川俣浩明:(大阪ガス→千葉ロッテマリーンズ→阪神タイガース)。野村克也監督の再生工場のテストで入団したが、1軍にあがることなく戦力外となった。現在は本校で事務員勤務。
[編集] 部活動
- 1973年に野球部が甲子園に出場し、1回戦を突破した。当時の監督は金子教諭。近年はシード落ちしたり、部員の喫煙問題などもあり、低迷を続けている。
- 陸上競技部は全国高校駅伝に神奈川県代表として27回出場(2006年現在)し、入賞3回(最高位は1986年の3位)。神奈川県高校長距離界の巨人として30年間にわたり君臨している。5000mの神奈川県高校記録が27年にわたって同校の部員が樹立・保持し続けていることからもそれが証明されている。
- また高校卒業後に箱根駅伝や実業団で活躍し、日本代表となる選手も輩出している(ただしオリンピック、世界選手権代表はまだいない)。
- 正しい生活習慣と、効果的な練習を行っており、所属生徒は他の生徒の模範となるような行動をしている。
- 監督は小菅正男。
- 有力OBとして、加藤覚(インターハイ5000m優勝、ユニバーシアード日本代表(10000m)、全日本実業団駅伝区間賞、現専修大学陸上部監督)、大津睦(全国高校駅伝区間賞(19年ぶりに区間新記録を更新した)、箱根駅伝区間賞(2回)(引退))、大場康成(全国高校駅伝区間賞、箱根駅伝区間賞、アジア大会日本代表(1500m)、日本選手権優勝(5000m)(引退))などがいる。
- バレーボールでは春高バレーで三連覇したこともあった。大学、実業団で活躍する選手もでた。当時の監督は黒田教諭。現在は、力が落ちたものの古豪として各地大会で活躍している。
- 近年では、商業部のOBから公認会計士2次試験合格者・税理士を輩出。全国規模の競技会で6位の実績をあげた。また、現在全国簿記コンクールに10年以上連続出場を果たしている。
- バドミントン部は校長が特に力を入れている部活であり、校長自身顧問を努める。全国大会の出場経験のある部だが、近年は中学県大会上位の生徒が入学するも、成績は揮わないようだ。
- 卓球部は湘南地区優勝を果たす。
[編集] 参考文献
- 藤嶺学園藤沢商業高等学校編『藤嶺学園藤沢商業の歴史』上巻・下巻(藤嶺学園藤沢商業高等学校、1986年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 藤沢翔陵高等学校(公式サイト)
- 地理歴史部サイト
- 藤沢翔陵高校のPC教育